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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(2)皇居前百尺ビル群 [『ミカドの肖像』]

hibiyatori1_1.jpg 猪瀬直樹に関する書を読み、テレビで新都知事の顔を拝見するってぇと、「あぁ、金と、名誉欲、権力欲の塊なんだぁ」と思うようになってしまった。『ミカドの肖像』にも触れるのがイヤになったが、皆が選んだ都知事の代表作。我慢して読み進めることにしましょ。

 「同時代ノンフィクション選書・第8巻」に書かれた柳田邦男の解説通り、同著は・・・あらゆる大小のエピソード、データ、さして意味のなさそうないくつかの出来事を『捨象されることなく~』で、焦点定まらぬ記述が延々と続く。

 書き出しテーマは「東京海上ビル」。日比谷通りの皇居前、日比谷濠前から第一生命、帝国劇場、東京会館、郵便局丸の内分室、明治生命館と高さ百尺(約30㍍)に揃った建物で統一感ある景観(写真上)をつくっている。しかし「行幸通り」(皇居から東京駅に抜ける道)の和田倉濠前の「東京海上ビル」(写真下の右奥の赤茶色建物)から、その景観が崩れる。

hibiyatori2_1.jpg 同書では同ビルの昭和41年末の建築申請から、昭和49年完成までの、姿を現さぬ数々の障害がレポートされていた。「そういえば、同ビルが高さ制限・美観問題でマスコミを賑わせたこともあったなぁ」との記憶も甦る。併せて、昭和41年といえば6月にビートルズ武道館公演だが、あたしは風月堂でモダンジャズに首振りつつヘンリー・ミラーなんか読んでいて、夜になって酒場に入れば、哀しく虚ろな眼をしたベトナムからの若い休暇兵らがいて、時に浅草のストリップ小屋を覗きつつ、「はたして俺は社会人になれるのだろうか」と不安だったことも思い出した。

 同ビルの建築申請から完成までの8年は激動の時代だ。学生運動、新宿騒乱罪、フーテン、シンナー、ケネディやキング牧師暗殺、よど号、三島由紀夫の割腹、万博・・・。それら横目に、あたしは何とか広告制作会社にデザイナーで就職し、2年後にPR会社に2年在籍。そして早々とフリーになって数年後のこと。自分にも激変の8年。

 昭和49年には、同ビル近くの丸の内・三菱重工ビルの爆破事件もあった。同社は最初の勤め先のスポンサーで、パンフや広告の打ち合わせで毎日のように通っていたことも思い出した。

 話を同書に戻す。「東京海上ビル」完成までの記述が終わって、そこから<天皇制への言及>があるやと期待していたが、<同ビルから眼下をみれば天皇の住まい、日本の「空虚な中心」が見える。>で終わっていた。そして次の逸話「原宿の宮廷ホーム」へ。お召列車運行の、まぁ薀蓄(うんちく)の域の「捨象」されぬ記述がまた延々と続く。以上が長い長いプロローグ。第Ⅰ部「プリンスホテルの謎」がやっと始まります。(続く)


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