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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(6)本田靖春 [『ミカドの肖像』]

honda_1.jpg 第Ⅱ部に入る前に、(1)で記した佐高信引用の、本田靖春の遺著『我、拗ね者として生涯を閉ず』(講談社、2005年刊)を読んだので、同書の猪瀬批判をひいておく。氏は読売新聞社会部記者で、正力松太郎の「新聞は読売グループ諸事業の宣伝媒体」的考えに反対して辞職。以後、フリーのルポライターへ。(もう死語か)。

 第一部は「由緒正しい貧乏人」に「おんぼろアパートが終の棲家」の章あり。そして終盤に再び記している。「自分はアパート暮しで生涯を過ごそうと決めた」が、「全共闘世代は汚濁の世をすいすい泳ぐのが上手だ」。続けて余談と記し、猪瀬直樹について書いていた。

 「いまを時めく猪瀬直樹氏がフリー仲間の佐野眞一氏と連れ立って、拙宅にやって来たことがある」。面識ない無名の二人が、原稿料値上げ運動を起こしたいが、若手だけでは心細いゆえ、「この私に一枚噛んでくれ、というものであった」。

 やはり猪瀬、佐野はむかし盟友だった。それが、いつから、どうして仲違いしたのだろう。本田氏記述は続く。「本田が猪瀬の師匠だ、と一部でいわれたことがあったが、その事実はない。だいたい、生き方のまるで違う彼が、(生涯アパート暮しの)私に学ぶことなんてありはしないではないか」。

 「猪瀬氏は西麻布に事務所ビル(地下一階、地上三階)を所有し、郊外に持家を構えている」に続き、「猪瀬氏は勉強家だし、仕事熱心だし、世渡りも上手だと思うのだが、なぜか、人に好かれない。それは、単に、威張り過ぎるから、といったような表面的理由だけによるものではなさそうである」。※上記二か所の()はあたし。

 絶筆「拗ね者の誇り」の章に、「私には世俗的な成功より、内なる言論の自由を守り切ることの方が重要であった。でも、私は気の弱い人間である。いささかでも強くなるために、このとき自分に課した禁止事項がある。それは、欲を持つな、ということであった。欲の第一に挙げられるのが、金銭欲であろう、それに次ぐのが出世欲ということになろうか、それと背中合わせに名誉欲というものがある」。

 それが誰を指しているかは記さぬも充分に頷けよう。「それらの欲を持つとき、人間はおかしくなる」で結ばれていた。平成16年、享年71。天国の本田さんに、猪瀬直樹が東京都知事になったのを教えていけない。

 昨夜、風呂に佐野眞一『巨怪伝』(正力松太郎と影武者たちの一世紀)を持って入ったら、かかぁが「あんた、生きてるぅ」。夢中で読んで時を忘れていた。比して『ミカドの肖像』の頁をひらけば眠くなる。差は歴然。これで「大宅荘一ノンフィクション賞」とか。もう同賞受賞作は読むまい。


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