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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(7)論理破綻 [『ミカドの肖像』]

mikado1_1.jpg 第Ⅱ部は「歌劇ミカドをめぐる旅」。まずは第六章「ミシガン州ミカド町へ」。著者は同地を訪ねて町名由来を探る。・・・汽車開通で駅名を申請。似た名が他にあり、当局担当者の頭にあった「オペレッタ・ミカド」から「ミカドにしたら」。バッカみたい。

 第七章「ミカドゲームと残酷日本」。著者はミカドゲーム前身が、金属製ゲーム「ジャックスロート」と推測。英和辞書サイトに「プレーヤーが、ジャックスロートの山から、他を動かすことなく、それぞれのジャックスロートを取っていくゲーム」の例文あり。

 「ジャック・スロート」は英国1381年の農民一揆の首謀者ワット・タイラーの仲間のひとり。彼らは貴族の首を刎ね、裕福な商人の倉庫を略奪。そこからゲーム名になったと解く。金属製が「竹ひご」になって大普及。その際に「竹ひご=日本」、「ワット・タイラーの乱=首を刎ねる=日本の天皇」でゲーム名が「ミカド」に。その「ミカド」は喜歌劇サヴァイ・オペラ「ミカド」からと推測を重ねる。

 第八章「西洋人の日本観と歌劇ミカド」。ここでは「ミカド」は恐怖イメージからではなく「ジャポニスム」の影響と記す。

 「あれは何だ」と探れば、どうってこたぁねぇ。「あれは山か」と推測して山の記述を延々と続け、「いや、川かもしれない」。今度は川調べ。「捨象されることのない記述」に加え、論理・推測の破綻も構わずの紆余曲折を延々と書き連ね、いたずらに長編に仕上げている感が否めぬ。

 あたしは改めて論理とは、「演繹法・帰納法」とは、を考えてしまった。いまは佐野眞一『巨怪伝』読書中だが、例えば50頁に正力松太郎をめぐる30名の男が登場で、彼らの人柄、時代背景、出逢いの意味などが小気味よくまとめられてスリリングに展開していく。「捨象」することは「知力」に通じる。なんだか鼻が詰まっているような『ミカドの肖像』とは雲泥の差だなぁと思った。

 ちなみに『巨怪伝』を検索してみれば「松岡正剛の千夜千冊」がヒット。同書は「主張、構成、調査、表現力、説得力、訴求力、歴史観、分量、資料性など、どこをとっても申し分なかった」との書き出しで、これ以上ない書評は、こう〆られていた。「ぼくなら(『旅する巨人』に大宅荘一賞が贈られたけれども)『巨怪伝』にあげていた」。その授賞を妨害した人物がいるとの流布あり。それが誰かはおいておき、上記各要素ともに不十分が、『ミカドの肖像』と言えようか。

 写真は図書館で借りた1973年レコーディング、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のロンドンレコード『サリヴァン 喜歌劇「ミカド」全曲』(二枚組LP)。庄野潤三著『サヴォイ・オペラ』にも、このジャケ写の舞台写真が掲載されていた。


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