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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(8)宮さん宮さん [『ミカドの肖像』]

m_arisunomiya_1[1].jpg 昨年12月20日頃から、弊ブログ記事「宮さん宮さんお馬の前に~」にポツリポツリと閲覧記録がでた。自分で言っちゃナンだが、小生ブログを、しかもそんな記事をば誰も見ん。

 それは一昨年秋「幕末もの」読書中のこと。薩長兵らが東征にトンヤレ節で気勢上げつつの行進。馬上にいたは、和宮を取られて徳川に憎悪たぎらす東征大総監・有栖川宮熾仁(たるひと)親王。その宮さんの騎馬銅像を有栖川公園で撮っての(写真)記事だった。

 誰も見向きせん記事を閲覧とは、「憂き世」に何かがあったらしい。それは新都知事が就任記者会見で質問者に横柄な口ききで逆質<『ミカドの肖像』を読んだか。オーケー>とやった頃からに符合する。

 英国の「喜歌劇ミカド」は脚本:ギルバート/作曲:サリヴァン/サヴォイ劇場:ドイリー・カートによって、1885年に初演。578回を超えるロングラン。序曲は日本衣装の群像が日本語で歌う「宮さん宮さん~」。

 庄野潤三『サヴォイ・オペラ』(河出書房新社、昭和61年刊)に脚本家、作曲家、劇場主のプロフィール、時代背景、出逢い、各作品が詳細紹介。猪瀬直樹は1982年版のLD『ミカド』を入手と記すが、あたしは新宿図書館で1973年レコーディング、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のロンドンレコード『サリヴァン喜歌劇「ミカド」全曲』(二枚組LP)を借りた。保柳健によるライナーノーツが、アーティスト紹介、「ミカド」あらすじ、全曲対訳で詳細解説していた。

 さて、ミカド=処刑イメージはどこから来たか。同喜歌劇初演は1885年(明治18年)。薩長兵らの東征行進曲『宮さん宮さん』は1868年。江戸城は西郷・海舟によって無血開城。その半年後に明治天皇が江戸へ。御旗をもって幕府勢は「朝敵・賊軍」となり上野戦争(彰義隊)、東北戦争(白虎隊)、函館戦争(五稜郭)他で多くの血が流された。だが、この戊辰戦争が「ミカド」イメージになって英国に届いたとは思えぬ。

 「ミカド」の怖さと言えば、やはり「大逆事件」だろう。1882年(明治15年)に刑法「天皇三后皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」が施行。1910・11年(明治43・44年)の「大逆事件」(幸徳事件)で多数の社会主義者、無政府主義者が逮捕・検挙され12名が処刑、12名が無期刑で多く方が獄死した。

 都庁眼下の西新宿・正春寺に「管野スガここにねむる」の慰霊碑あり。同じく新宿は余丁町に「東京監獄 刑死者慰霊塔」がひっそり建っている。しかし「大逆事件」が喜歌劇「ミカド」にヒントになるには、年代が合わぬ。

 『ミカドの肖像』は「大逆事件」に言及せぬまま、相変わらず焦点定まらぬ記述を延々続けるゆえ、この辺を自分なりに考えてみることにした。


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