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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(10)東京宝塚劇場 [『ミカドの肖像』]

tokyotakataduka_1.jpg ネット検索を続ける。次は岩田隆著「ロマン派音楽の多彩な世界」(朱烏社、2005年刊)の153頁あたりがヒットした。『ミカド』は1885年のサヴォイ劇場初演から2年後、明治20年に横浜居留地で早くも上演とあった。

 ・・・1870年代の半ば過ぎから、横浜居留地では、ゲーテ劇場やパブリック・ホールあたりで、すでにオッフェンバック(※オペレッタ原型を作ったフランスの作曲家)やサリヴァンのオペレッタが、アマチュア劇団やヨーロッパから訪れた歌劇団によって盛んに上演されていた。(中略)。1887年訪日のイギリスのサリンジャー一座が、サリヴァンの『ペンザンスの海賊』『軍艦ピナフォア』『ペイシェンス』そして『ミカド』を上演した。 『ミカド』は日本を刺激せぬよう劇中歌『卒業した三人の乙女』を題名にし、台本も一部変更・削除して上演と記し、トニー谷の『ミカド』出演の記述へ続く。

 ・・・戦後まもなく、『ミカド』は、アーニー・パイル劇場(GHQ接収の東京宝塚劇場、観客はGHQ関係者、総監督は国際的な舞踊家・伊藤道郎)で上演され、その際、ココ役で往年のヴォードビリアンのトニー谷が出演したことはあまり知られていない。

 「ホントかいなぁ」。あたしは彼に池袋のキャバレー楽屋で会ったことがある。トニー谷が演じた「ココ」は、ティティブの町の死刑執行長官。『ミカド』第1幕、2幕ともに舞台はココ公邸の庭。喜歌劇『ミカド』の舞台が、なぜに「ティティブ」になったかは後述するとして、まずはトニー谷の「アーニー・パイル劇場」での『ミカド』ココ役出演を探ってみる。

 長門美保の『ミカド』上演は、昭和22年6月の「東京劇場」(東劇)。 一方、「アーニー・パイル劇場」は有楽町駅日比谷口の「東京宝塚劇場」。昭和9年(1834)開場で、戦争中は「風船爆弾工場」として使われ、昭和21年(1946)よりGHQに10年間接収されて劇場名を変えた。

 さて、その「アーニー・パイル劇場」とは、伊藤道郎とは、そこで上演の『ミカド』とは、トニー谷のココ役出演とは・・・。未知の世界が一気に広がって隠居爺の胸は乙女のようにときめいた。えぇ、猪瀬直樹『ミカドの肖像』をおっ放ったことで得る読書の愉しみ。次はトニー谷を描いた村松友視著『トニー谷、ざんす』(幻冬舎アウトロー文庫)を読んでみることにした。

 写真は現「東京宝塚劇場」。日比谷通り側に「日生劇場」があるも、当時はさら地で「アーニー・パイル劇場」に来る米兵らの駐車場になっていたとか。


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