SSブログ

猪瀬直樹『ミカドの肖像』(11)トニー谷 [『ミカドの肖像』]

tonytani1_1.jpg レディース・アンド・ジェントルメン、アンド・おっとっつぁん・おっかさん、グッドモーニング・アンド・おこんばんは。

 昭和のみーちゃん・はーちゃん熱狂のヴォードビリアン・トニー谷が、あの世に召され、早やトゥエンティーシックス。早いざんすチョロリンコ。遥か娑婆を見下ろせば、全共闘出身ながら丸投げ小泉ドン、元青嵐会石原ドンに仕えた後に、畏れ多くも都知事タナバタ、ポタリンコ。自著『ミカドの肖像』を、質問記者に「読んだかぁ」とタカビシャ・バッキュ~ン。同書にかの喜歌劇『ミカド』のうんちく語っているとか。あたしがソロバン片手に説明するざんす。

 ディス・イズ・トニーが、アーニー・パイル劇場の、『ミカド』に出たかどうかのクエスッチョン。そもそも話せば長いでざんす。オーライ・オーケー。あれは昭和17年に出征で、そのまま上海、香港、 シンガポール彷徨で、昭和20年は28歳でオール・ナンニモ・ナッシング、焼け野原ニッポンに帰ってきたざんす。

 ガキ時分熱中の少女歌劇、あぁ懐かしの東宝宝塚劇場に来てみれば、「米軍専用劇場専属舞踊団員募集」のチラシにベッタンコ。「フー・アー・ユー、ナニ出来ますかぁ」にアイアム・ナッシング。そこでスタコラサッサ、進駐軍慰問のショウの事務所に飛び込んで、演出助手に潜り込んだでざんす。

 ここで米軍キャンプにエブリナイト。「便利な男」と重宝がられ、先に断られたアーニー・パイル劇場より、スタッフに来てくれのナイス・オファーにベリーベリーOK。差出人はパーカー少尉。チーフの伊藤道郎さん、とっても可愛がられたざんす。振付の青山圭男さん、タップの萩野さん、日舞の西崎さん、演出の宇津秀男さん。宇津さんは憧れの宝塚の先生で、ボクの胸はドキリンコ。先生方に頭ペコペコ・ペタリンコ。一生懸命勉強すれば、認められての主任助手。演った仕事が『ミカド』でざんす。

zensu1_1.jpg 以上は、村松友視著『トニー谷、ざんす』で引用の昭和29年「オール読物」掲載の、トニー谷の手による「サイザンス人生」を参考に、勝手に書きいじりした次第。で、全編くまなく読んでも、伊藤道郎のもとで『ミカド』をやったとは書かれているも、<「ココ」役出演>の記述はなかった。まぁ、「ちょいと代役で舞台に立つだけでいいから」ってことでもあったのか。もう少し調べてみましょうか。

 写真上はビクターより昭和62年リリースのLP『This is MR.TONY TANI』ジャケ写。『さいざんす・マンボ』から『レディス&ヂェントルメン&おっとさん&おっかさん』まで全12曲収録。ライナーノーツは小林信彦。カヴァー・デザインは平野甲賀。プロデュースは大瀧詠一。写真下は松松友視著『トニー谷、ざんす』(幻冬舎アウトロー文庫、平成11年刊)。


コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。