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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(12)アーニー・パイル劇場 [『ミカドの肖像』]

ernie1_1.jpg 次は斉藤憐小説『幻の劇場アーニー・パイル劇場』(新潮社、昭和61年刊)を読んでみる。同作は同劇場テーマの「三つの芝居」をもとにしての物語仕立て。フィクション部分カットで、公演記録をひろってみる。・・・昭和20年のクリスマスイブに米軍第8軍が「東京宝塚劇場」を接収し、「アーニー・パイル劇場」と改名。GHQが芸術監督に伊藤道郎を指名。

 第1回公演は昭和21年2月「ファンタジー・ジャポニカ」(構成・演出:伊藤道郎)。3月末に「劇場専属舞踊団員募集」の新聞広告で女性60名、男性10名採用。第2回公演「フェスティバル」。第3回は8月の4日間公演「ジャングル・ドラム」(演出:伊藤道郎)。「ニューヨーク・タイムス」も好評で、日本人向けに同年12月に「日劇」でも上演。

 昭和22年2月公演「タバスコ」(作・演出:伊藤道郎)。3月公演「椰子のそよ風」(演出:宇津秀男・三橋蓮子)で、翌年8月再演。4月公演「さくら」(演出:青山圭男・三橋蓮子)。6月公演「ヴギ・ビーツ」(作・演出:宇津秀男、振付:来日したドロレス・グレゴリー女史、音楽:小口臸)と「ティゴーの樹の下で」(作・演出:三橋蓮子)。7月公演「ヒット・キット・ショー」(作・演出:宇津秀男)。8月公演も2本で「海底」(共同演出:宇津秀男・三橋蓮子)と「ラプソディー・ブルー」(作・演出:伊藤道郎)。

 著者は7月公演から貧窮の日本人救済に劇場従業員千名に増加と記し、新憲法「華族令」による生活苦で三笠宮の父・高木元子爵が7月9日に自殺と追記。猪瀬直樹『ミカドの肖像』第Ⅰ部の、離籍された宮家の土地を堤康次郎が次々買収の時期だろう。

 また同年4月の戦後初の選挙で社会党大躍進。これはGHQの民主化、労働組合育成で、吉田内閣打倒で片山社会党政権誕生。しかし組合運動は東宝にも及び日劇がストライキ闘争本部になり、撮影所籠城の組合員に米軍出動の騒ぎへ。

 GHQは従来の「民主化」から「日本の産業育成」へ、さらにはアジア諸国の共産化を警戒して「反共」、自由主義陣営防衛へと政策変更。朝鮮半島も不穏になって、昭和23年(1948)は劇場公演より10名単位での米軍キャンプまわり(立川。厚木、朝霞、横浜、横須賀)中心へ。同年公演は『ミカド』だけ。昭和25年に朝鮮戦争。

 斉藤憐著には昭和23年の『ミカド』出演者スナップ写真が掲載。そこにトニー谷の顔はなく、「この年、アーニー・パイルで唯一上演された作品は、GHQ向けのショ―の演出家として来日したジョー・スティーブンスが造った『ミカド』(あるいは「ティティブの町」)である」。そして「・・・スティーブンスは、アメリカ文化の高さを証明すべく、本国からオペラ歌手を何人か呼んで、『ミカド』を上演したに違いない。美術は伊藤熹朔、ここでもトニー谷の記述なし。彼より俄然気になる人物が、同劇場芸術監督の「伊藤道郎」。いかなる人物や・・・。


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