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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(14)秩父困民党 [『ミカドの肖像』]

titibu2_1.jpg あたしは池袋のキャバレー楽屋でトニー谷に会ったことがある。それは昭和46年頃。今なら彼に「アーニー・パイル劇場」のこと、『ミカド』ココ役で出演如何を訊きたいが、それは叶わぬ。そのキャバレー・オーナーが秩父小鹿野出身で、小鹿野を訪ね、「秩父困民党」関連書も読んだ記憶がある。さて、喜歌劇『ミカド』舞台が、なぜに「ティティブ」か・・・。

 今度は岩田隆著『ロマン派音楽の多彩な世界』より「ティティブ」についてをひく。・・・『ミカド』初演は1885年3月。その数ヶ月前の1884年10月31日から11月9日にかけて埼玉県秩父郡で、貧困にあえぐ農民たちが大規模な一揆を起こした。(中略)。この事件は「ザ・タイムズ」などにも報道されたことでもあろう。10月~11月は、ギルバートとサリヴァンが次のオペラの題材で相談を重ね、ようやく日本を題材にすることで話がまとまった時期と一致する。(153頁)

 『ミカド』には、英国の1381年の農民一揆「ワット・タイラーの乱」の潜在的恐怖心を呼び醒ます台詞があるとも指摘していた。さて、反乱農民らが貴族を襲ったのはわかったが、その後に鎮圧されただろう彼らは、どんな制裁を受けたのか。今度は井出孫六著『秩父困民党群像』(新装版、新人物往来社刊)、筒井作蔵著『おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ!』(街と暮らし社、2010年刊)を読むことに相成り候。

 両著より「秩父事件」の概要は・・・。明治17年(1884)10月31日~11月9日、秩父を中心に約1万人の農民が武装蜂起。貧農を苦しめる高利貸しへ負債延納を、また行政に雑税軽減などを申請し続けるも埒あかず、ついに我慢の緒が切れて高利貸や窮民弾圧の国家権力に立ち向かった。農民軍は軍紀・組織を有し、悪徳高利貸を打壊し、役場や警察を襲って書類を破棄。つかの間のコミューンを築いた。

 しかし憲兵、鎮台兵(※師団兵)、警察に攻められて解体。裁判は蜂起の目的や動機を問題にせず上告も破棄。「官の暴挙」判決で、埼玉県だけで死刑11名、無期2名を含む重罪296人、軽罪448人、罰金科料2642人。重罪判決者は北海道、樺太監獄に送られて、極寒の地で鎖をつけられたままの道路工事などで多くの方々が亡くなった。

 ロイター通信の長崎、横浜支局が明治4年(1871)開設で、明治20年(1887)前後に本格始動とか。「秩父事件」はロイター通信、ロンドンタイムズ紙によって「ワット・タイラーの乱」を想起させる形で大きく報道されたと推測される。

 かくして喜歌劇『ミカド』の舞台は「ティティブ」になったらしい。なお、筒井作蔵著『おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ!』のタイトルは、現「秩父鉄道」の長瀞駅と寄居駅を直線で結んだ真ん中辺り、風布地区の大野苗吉(22歳、懲役7年6カ月)による農民組織化のスローガン。猪瀬直樹『ミカドの肖像』は「秩父事件」をさらっと数行ゆえ、この辺りを読んでみた、の記。


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