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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(15)青山・外人墓地 [『ミカドの肖像』]

oyatoi2_1.jpg 日々、ウォーキングか自転車運動を欠かさぬ。歩きは一時凝った。新宿から上野辺りまで韋駄天のごとく歩き回って、踵を痛めた。今は新宿御苑まで歩き苑内一周するか、小田急デパ地下・鮮魚コーナーへの往復くらい。自転車に乗るようになると、踵を傷めずも徘徊(ポタリング)範囲が都内全域に広がった。

 先日、青山辺りを走っていたら、ひょいと青山霊園「中央通り」に出て驚いた。青山墓地は「外苑西通り」と「外苑東通りから六本木方面に抜ける道」に鋏まれて、まぁ、縁者の墓がない限りは立ち入らぬ。そんなワケで初めての道(車なら青山通りからの一方通行)だった。

 その「中央通り」を走ると中ほどに外人墓地。思わぬ異国情緒に自転車を降りて歩み入れば、目前になにやら記憶ある名。おぉ、猪瀬直樹『ミカドの肖像』第Ⅲ部の「つくられた御真影」に登場のキヨソーネさんのお墓じゃないか。確か同著には写真も載っていた。

 写真右側の古色蒼然ドッシリとした黒っぽいお墓がそれで、新しい石碑板があって、こう書かれていた。・・・エドアルド・キヨッソーネ(1833~1898) イタリア人の紙幣原版彫刻師。1875年にお雇い外国人として大蔵省紙幣寮に雇用され、明治初年の紙幣肖像彫刻などに従事。また肖像画家として優れた銅版画などの制作を行い、日本の印刷技術の進歩発展と両国間の友好促進に貢献した。 なぜか明治天皇「御真影」を描いたの記述はないも、あのキヨソーネさんに間違いない。

 その左隣(四角錐状)は「フルベッキ」さんのお墓。管理事務所で尋ねると、A4版8頁折りカラーの立派なパンフを下さった。それによると「フルベッキ」さんは「遣外使節派遣等を建言」とあり。あの岩倉欧米使節団をお膳立てをしたのが「フルベッキ」さん。使節団は帰国後に「朕惟ふに~」で始まる「教育勅語」を、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」ではじまる「大日本帝国憲法」を発布。まさに『ミカド』国家制定にかかわる人物。猪瀬直樹『ミカドの肖像』には「キヨソーネ」隣のお墓に気づかなかったか一切の言及なし。加えて青山墓地は薩長土肥の明治政府高官らの多くが眠っているが「フルベッキ」さんの門弟多し。さらに乃木大将をはじめの日清・日露戦争の軍人さんらの多くも眠っていて、ここだけで明治が語れそう。

 『ミカドの肖像』では「御真影」が描かれた経緯、イタリアはジェノヴァの「キヨソーネ東洋美術館」まで訪ねるなど90頁ほどを要しているが、例のごとく長々と狙い定まらぬ記述ゆえ、ここからは『ミカドの肖像』と双子のような題名『天皇の肖像』多木浩二著(岩波新書)と、梅渓昇著『お雇い外国人』(講談社学術文庫、2007年刊)を読むことにした。


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