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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(16)多木浩二著『天皇の肖像』 [『ミカドの肖像』]

otatenno3_1.jpg 今回は『ミカドの肖像』と双子題名、多木浩二著『天皇の肖像』(岩波新書)を読んでみる。同著は1986年『思想』2月号掲載論文を、加筆・変更して1988年刊。

 論文では「御真影」に対し、「政府当局者は写真と複製の区別をはっきり付ける感性をもっていなかった」とした見方を、新書版では「彼らは複製技術による記号の性質をかなり正確に認識していたのでは」という見方に変更したとか。同書の第五章「理想の明治天皇像」で、著者はキョッソーネによる明治天皇像を鋭く分析している。以下はその要約・・・

 天皇の肖像は、身体の視覚化である以上、“生きた身体”には変わりないが、それを超えて超歴史的な“身体”、聖性を帯びなくてはならぬ。ゆえに個性表現ではなく、あくまでも肖像表現。ゆれ動く存在の一瞬ではなく、それを超えて概念的、抽象的“身体”を類型的に視覚化、つまり、生きていながら超歴史的な“身体”に図案化、宗教的な図像(イコン)化されなければいけない。比して明治6年の内田九一撮影写真は、椅子に凭れていかにも“生々しい”。

 キョッソーネ原画を撮影の仕上がりを見た宮内大臣・土方久元は「神彩奕々、聖帝の威容儼然として真に迫る」と喜んだとの「明治天皇紀」をひき、・・・そこには、したたかな政治的戦略(無意識にしろ)に基づいたイメージの認識があったのでは、と推測して・・・

 「国王は国権の肖像(シンボル)」。つまり「天皇の肖像写真は独立国家の象徴」ということを明治憲法草案者、とりわけ井上毅(こわし)らは承知していたのではないかと記す。その容貌も「家父長的君主制」にふさわしく、人々に受け入れられるべく、きついまなざしは消え、重厚かつ意志強固、威厳と優しさに満ちた仕上がりになっている。

 猪瀬直樹『ミカドの肖像』は、90頁を要して言いたかったのは、こういうことだったのではと思った次第。さぁ~て、次は「御真影」が「教育勅語」や「明治憲法」と共にいかに国民に浸透して行ったかを読んでみる。おっと、その前に『ミカドの肖像』でも肯定の「孝明天皇毒殺」について・・・。


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