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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(19)五箇條の御誓文 [『ミカドの肖像』]

meijijingu2_1.jpg 「御真影」浸透経緯を知れば、「大日本帝国憲法」も気になる。告白すれば、東京生まれゆえ薩長らの明治維新は好かん。明治維新へのアプローチは勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟からか。加えて永井荷風好きゆえの薩長嫌い。「あぁ、嫌だ・嫌だ」で、この歳まで明治維新を避けてきた。

 かくして老いぼれた身で、まずは明治神宮参拝。そう、この森でオオタカ育雛、祠に棲まうオオコノハズクを撮ったが、今回は神妙にお参り。本殿を出るとお守り等を扱う長殿脇に「五箇條の御誓文」の絵と説明文あり。説明文は次の通り。

 明治元年(慶応4年)三月十四日、天皇は公卿・諸侯を京都御所の紫宸殿に集め、神前で明治の新しい政治の基本方針五箇條を誓約され、国民に知らせるよう指示されました。御誓文は、簡潔な文章で政治の基本とすべき不朽の方針を述べたもので、明治時代の驚くべき躍進の基となったものです。

gokajyo2_1.jpg 同絵下の配布パンフに「五箇條の御誓文」が掲載(写真左)されていた。長屋の熊さん的あたしにも、まぁ、理解できた。小学校クラス会風に解釈してみた。

 ★皆で議論して公正な意見で決めましょう。★身分に上下なし。心を一つにして考えを整えましょう。★誰もが自分の役割を果たし、希望を失くさないことも肝心。★今までの悪い習慣を捨て、普遍的な道理に基づいて行いましょう。★智識を世界に求め、天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。

 おや、小学校で習った民主主義のようではありませんか。松本健一著『明治天皇という人』(毎日新聞社、2010年刊)には、こう記されていた。 ・・・この時、明治天皇は満15歳4ヶ月。作者は横井小楠(しょうなん)で、実際は弟子の三岡八郎が草案を書いた。これぞ明治維新の精神、王政維新の方針、明治維新国家の理念。勝海舟の「おれは今迄に天下で恐ろしいものを二人見た。横井小楠と西郷隆盛」をひき、横井小楠を評価していた。

 松本健一は、同文のまとめに「左派の遠山茂樹、田中彰は批判し、岩波書店の岩波茂雄、戦後民主主義の丸山眞男、竹内好は高く評価。また北一輝も<維新革命の本質は実に民主主義に在り>と評したが、後の憲法は批判したと結んでいた。

 先生が一人では偏ろうから、笠原英彦著『明治天皇』(中公新書、2006年刊)も読む。・・・開かれた政治、新しい体制を希求しており、国際化まで言及している。しかし「過大評価するのは危険だ」と記して、遠山茂樹『明治維新』をひき、(御誓文は)「天皇制絶対主義をこの世に送り出す陣痛剤であったにすぎない」。「天皇親政と公議政治」で矛盾していると記す。

 最後に私流解釈をひとつ。昭和21年元旦の、云うところの昭和天皇の「人間宣言」(新日本建設に関する勅書)で、この「五箇條の御誓文」をわざわざ挿入していることに注目。なんだか「ここまでは民主主義だったんだがなぁ」と言っているような気がしないでもないと・・・。


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