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日本橋川(29)「豊海橋」日本の曲がり角 [日本橋川]

nipoonginkou1_1.jpg 「湊橋」から日本橋川に架かる最後の「豊海橋」へ。途中に「日本銀行創業の地」の史跡案内あり。・・・明治十五年十月十日、日本銀行はこの地で開業した。明治三十九年四月、日本橋本石町の現在地に移転した。

 創業地の建物の絵が刻まれたプレートに、これだけの文章。うむ、何か臭うなぁ。井上安治の絵「永代橋際日本銀行の雪」(左)の木下龍也の解説文をひく。・・・日本銀行は明治十五年設立。翌十六年四月永代橋西詰にあった開拓使物売捌所(うりさばきしょ)を譲りうけて業務を開始。うむ、この開拓使物売捌所・・・ どこかで読んだ記憶があるぞ。

 設計は帝国博物館、鹿鳴館、ニコライ堂設計のコンドルさん。ヴェニス風ゴチック煉瓦造り。同所は政府が北海道開拓のために明治二年に設置の行政官庁。1400万円を投じて竣功するも、長官・黒田清隆が同郷の薩摩出身者に38万円で払い下げようとした。木下龍也は、北海道物産の売店にすぎないのに、かくも贅沢な建物で「公費天国の面目躍如、苦笑するほかはない」と記すが、苦笑では済まされぬことになる。

toyomibasi41_1.jpg 薩摩藩閥の裏取引と世論沸騰。大隈重信らも反対した。しかし薩長藩閥は政府を混乱させたとして大隈重信、福沢諭吉らを追放。これに乗じて伊藤博文、井上毅らはプロシア型憲法、つまり「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の「大日本帝国憲法」制定に至る。

 この建物こそ、日本が戦争に突き進む曲がり角の象徴。そんな明治を振り返りつつ歩めば、目前に現われたのが「豊海橋」。すでに永井荷風の月夜散策コース、東京湾汽船発着所探しで何度も訪ねた橋なり。橋詰の案内板をひく。

 ・・・日本橋川の河口に架かるこの橋は、元禄11年(1698)に初めて架けられ、その後何回となく架け替えられ現在に至る。現在の橋は、震災復興事業により、昭和2年に架設。形式名はフィーレンデール橋。梯子を横にしたようなこの形は、名橋永代橋との均衡を保つようにデザインされたもの。我が国では本橋以外に数例しかなく、稀少価値の高い橋です。そして荷風の「断腸亭日乗」の文章がひかれていた。

 橋から大川(隅田川)を見れば、右側に美しいアーチ型の永代橋が見えた。次回に「日本橋川シリーズ」に引用、参考にした全資料を一覧し、このシリーズ終了です。


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