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毘沙門天とムカデ [江戸名所図会]

bisyamonten3_1.jpg 『江戸名所図会』は宝泉寺が別当の「毘沙門堂」を読む。・・・同境内に小高き丘の上にあり。本尊毘沙門天王の霊像は慈覚大師の作にして、武蔵守藤原秀郷(ひでさと)の念持佛なりといへり。相伝ふ慈覚大師、江州唐崎の濱に至り、ひとつの笛を拾ひ得給ふ。内に御長一寸八分の多聞天の霊像あ里。大師随喜して自(みつから)是を念持佛とす。

 まぁ、話が早稲田から近江・琵琶湖に飛び、そこで拾った笛から5.45㎝の多聞天像が出て来たってぇんだ。不謹慎だが「一寸八分の観音様」ってぇとアソコのこと。記述に戻る。

 仁寿年間旧里下野国(志もつけのく尓)に下り、佐野の大慈寺に入り給ひ、御長二尺五寸の多聞天像を彫刻ありて、先の霊像を其胎中に篭(こ)めまゐらせ、大慈寺に安置ありしを、天慶中武武蔵守秀郷、平将門を征伐の後、此地に移したりとあり。

 藤原秀郷が平将門を征伐後に、佐野・大慈寺の「ダブル多聞天(毘沙門天)」をこの地に移したと書かれている。中略して、文はこう続く。

 其傍(かたわら)に朝日庵と云ありて、眺望尤(もつとも)幽雅なり。此地の時鳥(ほととぎす)ハ世に勝れて早く啼くゆゑに、其名を得たり。

 昔はこの辺でもホトトギスがいたとは。そして文は旗立桜(帆立桜)や船繋松の説明に続くが割愛する。この毘沙門堂は明治30年代まであったそうだが焼失。江戸時代に隆盛を極めることになった「毘沙門天」に注目。

 特に興味なしも、毘沙門天の使いが「ムカデ」と知って面白くなった。神楽坂の毘沙門天では「ムカデのひめ小判守」なるお守りがあるとか。黄金色小判に二匹のムカデが蠢く姿が刻まれて、百の足で福を掻き込んでくれるそうな。先日、明治33年正月の「朝日新聞」を見ていたら、こんな記事あり。・・・昨日ハ初寅とて毘沙門天の初縁日なれど、例年の通り百足小判を出し、同所の芸者等我勝に其小判を得て喜ぶを見受けたり。昔からのお守りらしい。

bisyamonkuzusi_1.jpg 先日、明治通りの「オリンピック」でワンタッチの底付き蚊帳を買った。実は十五年も前の伊豆大島ロッジで、いざダイビングへと玄関でウエットシューズに足を突っ込んだら、激痛に飛び上がった。二寸を超える赤黒いムカデがニョロッと出てきた。余りの痛さに島の友に電話をすれば、うれしそうな顔をしてマムシ入り焼酎を持参。小皿に注いで、刺された指を漬けておけと云う。毒には毒で制す。酒を呑み酔っ払いつつ痛みが薄らぐのを待った。

 以来、ムカデが怖くて、7万円を投じて底付きの大型本格蚊帳を購った。数年前に「オリンピック」で同じく底付きワンタッチ二人用蚊帳を見つけた。ワンタッチに加えて安く(3900円)、両サイドに出入り口付き。すこぶる使い勝手が良い。で、客人用に新たにもう一つ買った。

 ムカデは怖い、毛嫌いゆえに、あたしは毘沙門天に見放されて貧乏なのか。早稲田の毘沙門堂は焼失ゆえ、神楽坂の毘沙門天の絵を添える。絵にくずし字あり。久し振りに筆を持つ。「寅」「参詣」「等」「賑」の解読に難儀した。どの字もよく出てこよう。永く日本人をやっているゆえ、この位は辞書をひかずもスラスラ読みたい。覚えましょ。「月毎の寅の日にハ参詣夥(おびただ)しく植木等の諸商人市をなして賑へり」 


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