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富士山、登頂す。 [江戸名所図会]

hirosigetakadafuji5_1_1.jpg 昨日、猛暑と雷雨をついて富士山にアタックした。人々は涼しくなってから登り始めるのだろう。麓では、それら人々の出を待ってさまざま屋台が準備中。まず「浅間神社」でお詣り。右脇から登山道が始まる。社側面に年代物の天狗、龍の面。溶岩で拵えた階段状を一歩一歩登る。危険防止の柵がうれしい。五合目の小御岳大神を詣で、右へ左へつづれ織りの道を登れば、間もなく頂上。ここで「カーン カーン カンカンカン カーン」と鐘を敲いて健康と安全を祈念。

 麓に下りると明治十五年建立の「御胎内」の石碑あり。元祖・藤井藤四郎の名あり。また大正二年建立の「富士山北口胎内窟修築記念碑」。あたしは藪蚊に刺された腕にムヒを塗りつつ「高田富士」頂を見上げた。

 入口看板に説明書きあり。・・・大先達、日行藤四郎をはじめの富士講の人々が、富士山頂から岩や土を運ぶこと九年五ヶ月の末、ついに富士塚を築いた。藤四郎さんの富士参拝は、実に五十八回とか。写真はそこに展示の広重「高田富士」。添えられた文は・・・同所寶泉寺水稲荷の境内にありて餘の富士と等しからず。六月十八日まで参詣せしめ麥藁(むぎわら)の蛇等を售(う)る茶店を出して諸商人出て数日の間賑ひまされり。「富士塚」でちょっとだけ江戸気分なり。

asamajinnjya_1.jpggotainai_1.jpgfujitop_1.jpg 写真左は浅間神社、御胎内、山頂。 


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