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内藤新宿の節季候(せきぞろ) [江戸名所図会]

sinjykuhidari_1.jpgsinjyukumigi_1.jpg ウチから東は早稲田で、南は新宿。ってことで『江戸名所図会』は「四谷 内藤新宿」の文を読む。

 甲州街道の官驛(くわんえき)なり <此地ハ旧(いにしへ)内藤家の弟宅(ママ ていたく)の地なりしか 後、町屋となる故に名とす> 日本橋より高井土(たかいと)迄で行程、凡四里餘りにして、人馬共に労す依(よつ)て、元禄の頃、此地の土人、官府(くわんふ)に訴へて新に駅舎を取立(とりたつ)る。故に新宿の名有り。然りといへ共(ども)、故有りて享保の始(はじめ)廃亡(はいまう)せしか、又明和九年壬辰再ひ公許(こうきよ)を得て駅舎を再奥し、今また繁昌の地となれり <此所より高井戸へ一里廿五町あり> 追分というハ同所甲州街道八王子通及ひ青梅等への分道(わかれみち)なれハなり

 絵が愉しい。餅つき、それを見る親子、門松を積んだ馬、味噌「お路し」の看板を掲げた店前で働く人々、役人付きで荷が運ばれ、縞の合羽で馬に乗るは江戸を離れる渡世人か。爺さんが振り分け荷物で江戸に入る。座頭も師走は忙しい。和国屋は飯盛女ではなく妓楼の艶かしい女たちだろう。ぼて振りの二人組が蛸などを売っている。坊主が店先で経を詠み、そして四人組の「節季候(せきぞろ)」が店に無視されつつも騒々しく舞い奏でている。

 sinjyukubun_1.jpgはせ越(芭蕉)句が添えられている。「節季候(せきぞろ)の来てハ風雅を師走かな」。『松尾芭蕉集』(日本古典文学全集)には「節季候の来れば風雅も師走哉」とある。「来てハ」が「来れば」、「風雅を」が「風雅も」の違い。同書に「節季候」の説明あり。

 節季候(せきぞろ)は今日(十二月二十二日)より乞人、笠の上にシダの葉を挿(はさ)み、赤き布巾を以て面を覆い、わずかに両眼を出だし、二人或は四人共に人家に入り、庭上にて躍を催し、米銭を乞う。(後略)。芭蕉句は・・・もう節季候が出はじめる年の瀬の忙しさゆえ、俳諧もここで終わりってことらしい。長谷川雪旦と斉藤月岑のコンビは、芭蕉句をとり込んで内藤新宿をどう描こうか・・・と入念に練り上げて仕上げたような気もする。

 俳人は風雅を控える謙虚さを有し、食えぬ者は芸で施しを得る。安給金でも健気に働く人々。今は金が欲しければ殺人、強盗、詐欺となんでもありの節操なき時代に相成った。江戸の年の瀬には、どこか優しさ、懐の深さが感じられる。そんな絵です。


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