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岩倉具視、喰違で襲われる(ハ) [幕末維新・三舟他]

edokuitigai5.jpg 多田好問編『岩倉公實記』より「具視喰違遭難ノ事」一部を読む。間違い多かろうが自己流に句読点、ルビ、注釈をつける。

 

 明治七年甲戌一月十四日夜、具視赤坂假皇居(前年に皇居は物置から出火で焼失。赤坂御所が仮皇居)ヨリ退出ス途、喰違ヲ過(す)ク、兇徒アリ七八人路傍(ろぼう)ニ彷徨シ、具視カ馬車ノ至ルヲ見テ、一二人前(すす)ンテ將(ま)サニ執(と)ラントス。馬丁之ヲ誰何(すいか)ス。兇徒急ニ白刃ヲ露(あら)ハシ、馬車ノ右轅(うえん、轅=ながえ=車の舵棒)ヲ攀(よ)チテ斫(き)ルモノ有リ。又馬車ノ背ヨリ母衣(ほろ)ヲ斫(き)ルモノ有リ。具視已(スデ)ニ馭者ト偕(とも)二裾(きょ=うずくまる)シテ馭者臺二在リ。乃(の)チ左轅ヨリ下リ、之ヲ躱避(たひ)ス。眉間二微疵(びし)ヲ被ムリ、且左腰ヲ傷ツク。腰ニ短刀ヲ横フルヲ以テ、其刀室(とうしつ=鞘)ノ支フル所ト為リ創口深カラス。

 

 馬車の右、後の幌から襲う兇徒に、具視と馭者は左から逃げた。額に軽い傷。左腰を斬られるも短刀の鞘で深手にならず。街灯もなく人通りもない喰違見附。漆黒の闇だったろう。

 

 兇徒ハ具視カ馬車ノ内ニ座セサルヲ見テ四旁(しほう)ニ走リ、之ヲ索(もと)ム。一ニ人具視ノ後ヲ追テ之ヲ撃ツ中(あ)タラス。<うむ、ピストルでも撃たれたか?> 

 具視湟中(こうちゅう、湟=濠)ニ轉墜(てんつい、轉=ころがる)ス。身ヲ荊棘(けいきょく、いばら・とげ)榛莾(しんもう、繁っている所)ノ中ニ匿(か)クス。一人アリ、左手ニ桃燈(とうか)ヲ提ケ、右手ニ白刃ヲ揮(ふる)ヒ、之ヲ索(もと)ム。

 

kuitigaiakasaka_1.jpg 霜枯れの茨が繁る崖に転がって身を隠せば、一人が左手に提灯、右手に白刃で探しに来る。手に汗握るシーン。さて、岩倉公はどうしたか。

 

具視縞襟ヲ重ヌルヲ以テ、兇徒ノ之ヲ認メンコトヲ懼(オソ)レ乃チ、黒色羽織ノ襟ヲ翻シテ之ヲ覆ヒ、帽薝?ヲ垂レテ其面ヲ蔵(か)クス。適(たまた)マ宮門ノ前ニ人語ノ喧囂(けんごう)スル有リ、兇徒皆惧(おそ)レ倉皇(ソウコウ)奔逃ス。具視崖ヲ攀(ヨ)チテ上リ湟(ほり)ヲ出(いで)ツ。

 

 岩倉公は宮内省で傷の手当てを受けて、二十一日に馬場先門の本邸に戻るが、これは病室で詠ったか、和歌四首が掲載されていた。彼の人となりも分かろうから、いつもの自己流くずし字で筆書きしてみよう。『絵本江戸土産』では広重がここの風景が気に入ったか二点描いている「喰違外」(上)と「喰違外・赤坂遠景」。絵についても次回で…。(続く) 


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