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重長版「隅田川青柳」(私流メモ5) [くずし字入門]

aoyagibun2_1.jpg 次は隅田川をさらに遡って「梅若塚」。桜は地元新宿で楽しんできたが、或る年「よし、今年は墨堤の桜だ」。行けば宴に三味の音、枕橋では向島芸者衆のサービスの江戸情緒。「隅田川の七福神めぐり」チラシがまだ彼方此方に残ってい、コースを見れば池波正太郎『剣客商売』なじみの地ばかり。三囲神社(言問団子)から長命寺(桜もち)、白鬚神社、百花園、隅田川神社、木母寺、梅若塚、橋場、鐘ヶ淵。

 

 かかぁが池波正太郎を読み漁っていた時期で「まぁ、木母寺(梅若塚あり、対岸には秋山大治郎の道場)から鐘ヶ淵(小兵衛の隠宅)まで歩いてみましょ」に相成候。今でも「あの時はよく歩いたねぇ」と思い出す。

 

重長が描いた宝暦3年(1753)頃は、まだ桜名所(桜が長命寺から枕橋まで続いたのは1880年頃らしい)ではなく、「柳さくらこきまぜて」の程度。桜より牛の御前(三囲神社)、梅若丸の忌日参詣中心だったか。それでも「蟻のあゆむがごとし」の賑わい、と記されている。

 

m_miyakodori12[1].jpg 在五中将は在原業平で「名にしおはばいざ言問はん都鳥~」の都鳥はユリカモメで、本当のミヤコドリは写真の通り。三番瀬で群れている。「所せきまで」は「所狭きなし=隙間なし」。

 

 釈文は… 毎年三月十五日。梅若丸の忌日とて。今にたへせぬ大念仏。参詣の男女袖をつとひ。梅若塚の青柳も。いと蒼々として。さながら春のしるし。柳さくらこきまぜて。都鳥も水上に浮む風情ハ。往昔在五中大将の。いざことゝハんといはれしハ。問ふ人もなきさひしき様子。今ハ引換かえ繁花にして。河の面には屋かた。屋根舟。猪牙なんど。所せきまでこぎならべ。堤の茶屋酒屋など。あるひは牛の御前より。堤つたへの参詣は。さながら蟻のあゆむがごとしかや

 

 筆写左横に、気になったくずし字をメモした。主に明治33年の学校教育で使われなくなった平仮名を「変体仮名」「異体仮名」と云い、それらに馴染みないゆえに、何故にその字が「字源・字母」なのかさっぱり分らぬ。「た=太、多」が主だが「堂」もある。「堂=ドウ(ダウ)、トウ(タウ)=たかどの=人名(たか)」で「た」か。「と=止」が多いが「登」も多い。「て=天」が多いが「帝・亭」も多い。「は=波・八」が多いが「盤」も多い。慣れぬとすっと読めぬ。またくずし字の形が似ている「さ」「せ」「す」「を」「その・其」「とも・共」も要注意


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