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重長版「二本堤の春草」(私流メモ6) [くずし字入門]

nihontutumi_1.jpg「二本堤」は吉原への道「日本堤」。なぜに「二本堤」かが書かれている。あたしは5年前に荷風さんを気取って今戸橋から暗渠・緑地になった山谷堀沿いを歩いて吉原、そして箕輪・浄閑寺を訪ねたことがある。ここは遊女投げ込み寺で「新吉原総霊塔」と、荷風文学碑がある。「日本堤」は明治30年頃に取り崩されて、今は「日本堤通り」などの名が残るのみ。

 

 広重の『絵本江戸土産』に比し、その約百年前の重長版の文章は当然ながら少々難しい。江戸の熊さん八っつんは読めただろうか。当時の日本人は、現代人より幾倍の文字(漢字)知識があったに違いない。漢字の多さに加えて、さまざまに変化するくずし字。昭和初期からの常用漢字(現在は2136字?)で簡素化されたが、文章の深みは失せた。さらに今はキーボードで変換もデジタルソフト任せ。ここは時代に逆らって、筆でくずし字に親しむが断然面白い。

 

 さて釈文…。浅草の馬道より。金龍山聖天を拝し。今戸橋。土手の道哲の庵。二本堤(日本堤)に至る。此二本堤と云ハ。荒川除のためにとて。三谷(山谷)より箕輪につゞき。先はわかれて。日本横たハる橋のごとし。仍て其名あり。此所別して。新吉原の道なれば。土手の青柳もたほやかに。品よく遊里の駕籠のかけ声。茶屋舟宿の。をくり迎ひの。てうちん(提灯)ハ引もきらず。かち(徒)より通ふ遊客ハ。ふくめん頭巾宗十郎頭巾。びろうど緒の裏付草履。ぬり下駄はきて当世のはやりうた。豊後義太夫半大夫。おもひおもひに口すさミての往来ハ。実に昼夜のわかちなし

yosiwara1_1.jpg 新吉原の面影を求めて“なか”を歩いてみた。日本堤通り(土手通り)から「吉原大門」。ここに「見返り柳」があって「くの字」に曲がった「五十間通り」から中之町、江戸町、角町、揚屋町、京町…。だが今は百数十軒のソープランドが軒を並べていた。呼び込みに恐れをなして、あたしは早々に箕輪寄り龍泉の樋口一葉が雑貨・駄菓子屋をやっていた辺りに建つ「一葉会館」に向かった。ここは五千円札に一葉の顔が入ったのを機に出来た記念館で、以前はしもた屋風の二階屋だった。写真は浄閑寺の新吉原総霊塔。


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