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馬琴住居巡り(1)深川の生誕地 [新宿発ポタリング]

bakinseitan1_1.jpg『曲亭馬琴日記』の読書合間に、自転車で「馬琴旧居巡り」をした。まずは生誕地の深川(江東区平野一丁目)へ。大久保通りを飯田橋、九段下から内堀通り。大手門左折で永代通り。隅田川の永代橋を越えれば深川。地下鉄なら東西線「門前仲町」。清澄通りを清澄庭園に向かう。仙台堀川に架かる「海辺橋」の手前南詰に、芭蕉が「おくのほそ道」へ旅立つ前に住んだ杉山杉風の「採茶庵」跡に旅装束の芭蕉像あり。同橋を渡った右側の団子屋数軒先に「滝沢馬琴誕生の地」史跡看板。看板前には馬琴が28年間を費やした『南総里見八犬伝』全106冊を積み上げたモニュメントあり。

 

 馬琴に無関心なら「フ~ン」で通り過ぎてしまう“何気なさ”。道路っぺたに無造作な設置。かつて、かかぁと清澄庭園散策帰りに東西線『門前仲町』へ向かって歩き出し、同史跡を横目に「フ~ン」と通り過ぎたことあり。それより数軒先「団子屋」に寄って「みたらし団子」食い歩き。その砂糖醤油ダレが出来たてで「アッチチッ」と橋の上で悲鳴上げつつ頬張ったことの方を覚えている。かくして改めて馬琴史跡に見入った次第。

 

 芭蕉が「おくのほそ道」へ旅立ったのは元禄2年(1689)。馬琴はその78年後、明和4年(1767)に同地で生まれた。以下は眞山青果『随筆瀧澤馬琴』(眞山青果全集・第十七巻・講談社)、高田衛著『滝沢馬琴』(ミネルヴァ書房)、滝澤昌忠著『寂しい人・曲亭馬琴』(鳥影社)、森田誠吾著『曲亭馬琴遺稿』(新潮社)、杉本苑子『滝沢馬琴』(文藝春秋)より自分流にまとめてみる。

 

この地は旗本松平鍋五郎信成(千石)屋敷。馬琴家は代々が同家用人ゆえに同屋敷内で誕生。下女二人に料理番もいたが、馬琴九歳の時に父が死去。馬琴家は俸禄を取り上げられ長屋一隅へ冷遇。長男は主家を離れ、次兄は他家養子へ、十歳の馬琴が一歳下の主人孫の小姓(遊び相手)になった。

 

fukagawabakintizu_1.jpg長男が二十歳で戸田大学忠諏の用人になって母や妹を呼び寄せた。それを機に馬琴は三年で主家を出奔。十四歳で市中放浪。住むは裏長屋だろう。生誕史跡近く「深川江戸資料館」に裏長屋が再現されてい、当時の馬琴の暮らしを想像する。

 

伯父の招きで医を学ぶも挫折。長兄の誘いで俳諧に誘われて「馬琴」の俳号を持つ。長兄のひきで戸田家にも仕えたが、不行状で勤まらず。そのうちに母の看病で長兄は近習職解雇。馬琴も長屋仲間のツテで行商・大道芸・占い師などで食いつなぐその日暮らし。

 やがて長兄は縁あって元飯田町堀留の山口勘兵衛の用人になるも次兄は病死。馬琴は筆写本を売って暮しの足しにしつつ、次第に戯作者への道を目指して山東京伝に弟子入り。寛政2年(1790)、24歳だった。かくして生誕地・深川は馬琴にとって下級武士の哀れを身に染みこませた辛い地だったと言えそう。


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