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(23)遊びが過ぎた嘘心中 [江戸生艶気蒲焼]

sinjyucyakusyoku_1.jpgゑん二郎いよいよのりがきて、かれこれとするうち、七十五日の日ぎりがきれ、うちかたよりハ、かんどうをゆるさんとまい日のさいそくなれど、いまだうわきをしたりねバ、志んるい中のとりなしにて、廿日の日のべをねがひ、どふしてもしんぢう(心中)ほどうわきなものハあるまいと。てまへハいのちをすてるきなれども、それでハうきながふしやうちゆへ、うそしんぢうのつもりにて、さきへきのすけと志あん(喜之介と志庵)をやつておき、なむあみだぶつといふをあいづニ、とめさせるちうもん(注文)にて、まづうきなを千五百両にて身うけをし、しんぢうの道ぐたて(道具立て)をかひあつめる。ついの小そでのもようにハ(対の小袖の模様には)、かたになかてこすそにハいかり(肩に金てこ、袖には碇)、志ちにおゐてもながれのミ(質においても流れの身)というこか(古歌)のこゝろをまなばれたり。これも中屋とやまざきのもうけものなり。

 ふたりがじせいのほつく(二人が辞世の発句)ハ、すりもの(摺物)ニして中の丁へくばらせる。 志庵「花らんがかいたはすのゑを大ぼうしよ(奉書)へからずり(空摺り)とハ、いゝおほしめしつきだ」 喜之介「わきざしハはくおき(脇差は箔置)ニあつらへました」

 絵は艶二郎、志庵、喜之介、髪結い、そして浮名と二人の禿の七人が、嘘心中の小道具揃えの準備中。数珠、小田原提灯、蛇の目傘、毛氈、揃いの小袖、箔置の脇差~。模写が大変にて四人の上半身のみ。

 「いよいよノリがきて」。こんな言い回しは江戸時代からあったとは。「ゆるさん=許さない」ではなく、推量・意志・当然の「む」が「ん」になっての「許さん」だろうか。「肩に金てこ、裾に碇」は当時流行った歌らしい。ここまで重くすれば、質入れしても流れないの意。ちなみに京伝は質屋の息子だった。あたしも若い時分に、やっと買ったブロニカ+交換レンズ(6×6のカメラ)を流したことがある。質屋へ行くのは毎回辛かったが、かかぁは若い頃を振り返って「貧乏も愉しかった」と言ってくれる。

 「花らん=花藍」は京伝の絵の師、北尾重政の俳号。師は絵の他に俳諧、狂歌、書家のマルチアーティスト。京伝も師を受け継いだのだろう。「はす(蓮)のゑ」は追悼花、一蓮托生がらみと校注にあり。「ほうしよ=奉書」は高級和紙。「からずり=空摺り」は顔料なしで凹凸だけの贅沢摺り。「はくおき=箔置」で、銀箔を貼った竹光。他には難しい言葉なし。

 さて、遊女の心中といえば、おおむね男が入れあげた挙句に「羽抜け鳥」「手振り編み笠」となり、遊女も「身上がり」させての共倒れ。死ぬ他にない状況に追い込まれてのことだが、この光景はなんとも贅沢な遊び。遠足に行くみたいにはしゃいでいる。


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