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三囲の時代巡りを苔が知り(1) [新宿発ポタリング]

imanomimeguri_1.jpg 老いても身体が疼く。「自転車こぎこぎ」したいと大腿四頭筋が騒ぐ。ウム、何処へ行こう。そう『江戸生艶気蒲焼』のクライマックス、艶二郎と浮名が身ぐるみ剥がされて、素っ裸で三囲神社の大鳥居が覗く墨堤を歩く絵を思い出した。現・三囲神社を参詣しようと思い立った。

 まずネットの「自転車ルート検索」。大久保から早稲田~文京区役所~湯島~上野~浅草~三囲神社。⒒㎞、50分、220Kcal。言問橋に着き、橋から上流右側の三囲神社を見る。コンクリーehonmimeguriitibu_1.jpgトの親水テラス付き堤防。土手上に首都高6号向島線。その下に車道。土手側から鳥居上部を見る地に立った。鳥居を正面から見れば、笠木越しに東京スカイツリーが聳えていた。

 鳥居横に案内板。その文の概要は~ 鳥居は土手下も、対岸から鳥居上部が見える大きさで、多くの浮世絵に描かれた。現・鳥居は文久二年(1862)建立。墨田川の土手下に「竹田の渡し」が山谷堀・待乳山を結んでいた。渡しは昭和五年の言問橋開通で廃止された。

 京伝『江戸生艶気蒲焼』が天明五年(1785)の刊。同時期の歌麿も「三囲神社の御開帳」で、美人群が歩く土手向こうに鳥居上部を描いた。その約五十年後の天保五~七年(1834~36)に長谷川月岑が『江戸名所図会~三囲稲荷社』を描いた。嘉永三年(1850)より順次十編刊行の広重『絵本江戸土産』八編にも俯瞰の「三圍稲荷~堤より見る図」あり。これはちょうど言問橋から見た角度とほぼ同じ。手前に隅田川、土手下に竹屋の渡し、階段を登って桜の墨堤へ、鳥居上部と三囲神社の甍が描かれていた。この景色は何時頃まであったのだろう。

ehonmimeguri1_1.jpg ここで『絵本江戸土産』の文を筆写してみる。「向嶋の大社なり、隅田川の景色ハ往々(わうわう)記(しる)すによりて、ここに贅(ぜい)せず。三囲の鴈木(がんき)より見れバ、華表(とりゐ)の笠木を堤に置たるがごとし。焉(ここ)より上りて堤を下れハ、田中に大門ありて蒼稲魂(うがのみまた)を安置す。二月初午及び春時ハわきて賑ひたる殊也」

 「鴈木」「華表」「焉」「蒼稲魂」の判読に難儀したが、なんとか解読した。「鴈=雁の異体字」とわかった時は思わずニヤリ。「雁木=江戸時代の船着場の階段」とわかって意が通じる。「華表=かひょう、とりゐ」。「笠木=鳥居最上部の横木」。「蒼稲魂」がよくぞわかったと自分を褒める。これは、稲の霊魂ですね。「贅する=必要以上のことを言う」の否定で「贅せず」。よく使われる言い回し。

 さて、土手を下って鳥居をくぐろうと思ったが、しっかりと柵で囲まれていた。(続く)


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