9:さて、どの旅籠(女郎屋)へ [甲駅新話]
<後>ハイ。是は有難ふござります。いたゞきや・いたゞきや。エェ、仕合な ~此内に酒のかん出来。肴もとなりより持来り、則(すなはち)出す~
<後>サァ、お一ツ上がりまし
<谷>マァ、はじめなせへ
<後>ハイ、左様なら(さようなら=別れの挨拶、この場合は接続詞で:それなら)、お燗を見て上ませふ。ヘェあなた
<金>はゐ
<後>憚ながら(はばかり:恐縮ですが)
<谷>金公、お先へ
<金>はゐ
<後>お肴をお取なさりまし
<谷>あい。サァ金公さそふ
<金>ちつとあげやせうか
<谷>まづさ
<後>サァ、お上がりなさりまし
<金>爰(こゝ)へくんな
<後>さあさあ、お出しなさりまし
<金>是は憚り、つぎ(注)なさんなよ
<後>ナゼ上りませんかへ
<谷>宗旨ちげへさ(甘党だろう)
<後>それでも、お連立(つれだち)なすつて堀の内へお出なさつたじやァござりませんか
<谷>是ㇵ一言もねへわい
<三人>ハハハ ホホホ
<後>さあ、いたゞきませう
<谷>そんなら、サァ
<後>是ㇵもふ、結句(けつく:結局、むしろ)おむづか志う御座りませふ ~此間暫く盃事あり~
<後>こよひは何所へお出なさります
<谷>俺ア何所へでも往く気だが、ぬしがまだきまらねへよ
<後>なぜで御座ります
<金>どふも内がやかましうごぜんす
<後>それでも、どうせ今からお帰りはなさりますめへ、お宿(お宅)はへ
<金>下町(さて、どの辺でしょうか)でごぜんす。ホンニ何時だね ~と椽(たるき:垂木=小屋根組の下支えの木)へ出てそらを見る
<後>モウ、おつつけ暮ます
<谷>サァ、もふ、どふで埒はあかねへ。お覚悟・お覚悟
<後>何とおつしやつても、モウお返し申事では御座りません。ソシテもふお遅ふ御座ります。
<金>~十町(歌舞伎役者の名)が声色にて~ モウぜひに及ばぬ
<谷>どふでもかゝかさんのすゝめは利目(ききめ)があるわい。きまり・きまり。トキニ何所にしようの
<金>カノ上総屋はどふだね
<谷>普請ばつかりで、玉(女郎)が能(よく)ねへ。
<後>橋本はへ
<谷>まつぴら御免だ
<後>ナゼエ、あれほど美しゐものを
<谷>是は御挨拶痛入(いたみいり=恐縮する)ました
<後>ハハハ・ハハハ 何所がよふ御座りませふ。山城かね
<谷>是も同じくだ
<後>成ほど谷粋さんは性悪(あちこちと女郎を変えて遊ぶ人)だぞ ~暫し考へて~ ホンニ紀の国がよふ御座りませふ。
<谷>あすこは良へ、サァ紀州に落札(おちふだ)落札
<金>良へのが、あるかの
<後>女郎衆は揃て、よふ御座ります
<金>そんなら夫夫(それそれ)
「橋本屋」は、『鈴木主水しら糸くどき』で有名。天保~嘉永期に歌舞伎になったり、口説節、やんれ節、盆踊り歌として全国に普及。その冒頭は ~花のお江戸のそのかたわらに、さしもめずらし人情くどき。ところは四谷の新宿町よ。紺ののれんに桔梗の紋は、音に聞こえし「橋本屋」とて、あまた女郎衆のあるそのなかに、お職女郎衆の白糸こそは、年は十九で当世姿。立てば芍薬、座れば牡丹。我も我もと名指しで上がる(それぞれで詞が多少違う)。
その白糸に入れあげたのが、女房と二人の子持ちながら四谷塩屋(または青山)の剣術道場の倅・鈴木主水。女房お安は思い余って「橋本屋」白糸に訴え、白糸も了解だが、主水は聞く耳を持たず。お安は自害し、これを知った白糸も自害。これを知った主水も後追い自害の三人心中。昭和26年には久生十蘭が『鈴木主水』を書いて直木賞受賞。
「白糸塚」は、大宗寺裏の靖国通りに面した成覚寺にある。同寺は内藤新宿の遊女(子供)投げ込み寺で、そのシンボルとして「子供合埋碑」がある。その左の繁った枝垂れ梅を左右に分けると、奥にひっそりと隠れ置かれている。同塚は、嘉永五年に市村座で当時の千両役者・沢村長十郎が主水を、白糸を坂東志うかが演じて大当たり。志うかが造立。志うかの句「すえの世も結ぶえにしや糸柳」が刻まれている。この話はフィクションらしいが、武士と遊女の心中はままあり。
★ワードとブログに関するメモ:会話毎に行替えの現・会話文体裁にすべくワード作成文をブログへコピーしているが、ブログ上で一字でも校正しようとすれば体裁がグチャグチャに崩れてしまう。つまりアップ後の直しが利かぬ。この場合はブログ文をワード機能頁にコピー戻し、ブログを全文削除して最初からやり直すことになる。こんな不便がまかり通っているんですね。
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