まずは初会の盃事(15) [甲駅新話]
<半>はゞかりながら、あなたへ上げませう
<金>谷粋さん
<谷>マア、呑ねへ
<金>~半兵へが耳へ口をよせて~ あさぎへ
<半>はゐ
<三>ちつとあげ申しんしよふ
<金>まづまづ
~<三>のミてさかづき(呑みて盃)を臺へのせる。<半>心得て谷粋が前へ~
<谷>おさわりもふしやせうか
<三>マア、お取りあげなんし ~<谷>のミておく。<半>又こころへて、綱木が前へ~
<綱>~さかづき取りあげ、のミて~ かかさんあげんしよふ
若い衆「半兵衛」が、客「金公」へ盃を渡す。「金公」が呑んで、相手に決まった「三沢」へ。「三沢」は次に「谷粋」へ盃を渡す。「谷粋」が呑んで、相手の「綱木」へ。「綱木」が呑んで、最後に茶屋のおかみさんが呑んで初会の儀式が終わるそうな。
<後>チット おゝさへもふしやせう
<綱>マア、呑なんし
<後>アイ、左様なら
<半>サァ、 出しなせへ
<後>つきなさんな
<半>なぜへ
<後>まだ、お約束のお客がごぜんす
<三>夫でも一ッや二ツハよふおぜんせう
<後>あゐ ~とうけてのミ、ひかへて居る
<半>ソンナラ、おばさん、お頼申やす
<後>ナゼ、呑でいきなせへな
<半>イイエ、後にいただきやせう。今夜ハ下がいそがしうごぜんす
<後>清介どんハへ
<半>風を引て寝て居やす
<後>ホンニ、夫じやア、鬧(いそが)しかろう
<半>ハイ、左様なら。どなたも緩りとあがりまし。おばさん、よろしくお願申やす ~此間にすゐ物、鉢、肴の出る~
<後>サァ、お吸なさりまし モシ、谷粋さん、お久しぶりでちつと憚申ませう
<谷>そんならおれも、久しぶりでおせへよふ
<後>是ハ悪い事を申ましたつけんの ホホホホ
<金>おさかなをしようか ~と硯ぶたを引よせて~ 何がよかろう、是かの
<谷>ナニサ、後家が玉子を喰て(精力を付けて)どうするもんだ
<後>谷粋さん、又わる口をおつせんすよ
<金>そんならくわいかの
<後>左様なら、ソノびわを下さりまし
<金>おつナ 希(のぞみ)だの
<後>ハイ
<谷>びわといふ物ハめんよふ女の好(すく)ものだの。おらもびわになりてへ物だ
<綱>~谷粋を方をじろりと見て口の内にて~ すかねへ
<三>サア、おかさん、のミなんし、つぎんせう
<後>イイエ 爰(ここ)へ下さりまし。三沢さんのお酌にはこりました
<三>ホンニ、此ぢうはよくのみなんしたの
「桃栗三年柿八年枇杷は早くて十三年」の「枇杷」が盃事(さかずきごと)の話題になっている。今のような大玉枇杷が日本で本格栽培されたのは宝暦元年(1751)頃に千葉・富浦でとか。『甲驛新話』刊は安永四年(1775)だから、出回ってまだ珍しかったか。『馬琴日記』には、神田明神下同朋町時代に庭で育てた葡萄の実を商人に売って家計の足しにしていた。生真面目・馬琴が育てた葡萄が、遊里の「台の物」になっていたと想像すると可笑しかった。
「此ぢう」はよく出てくるので調べた。「ぢう=中」で「此の頃」。ここでは「この間、先日」だろう。「爰=ここ」もよく出てくる旧字。覚えましょう。「つぎんせう」は「注ぐ」の丁寧語の音変化で「注ぎん」+「せう=しょう」で「注ぎましょう」。遊里の「ありんす」言葉系か。「ん」変化は「ごぜんす」「おぜんせう」「せんすよ」「なんし」とやたら出てくる。江戸弁+ありんす言葉の満載。
絵は浮世絵に描かれた「硯ぶた(蓋)」に盛られた「台の物」。、概ねこんな感じで酒・肴が運び込まれたのだろう。<綱>が谷粋の方をじろりと見て口の内にて「好かねへ」と言う。今後の展開を予感させる一言です。
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