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メモ「坤驛」は品川宿か新宿か?(17) [甲駅新話]

yotuya1_1.jpg 「甲驛新話」(9)(15)(16)で模写した三人の遊女絵を並べると、北尾政演(京伝)代表作の錦絵「当世美人色競 坤驛」(左)になる。小池藤五郎著『山東京伝』(昭和36年、吉川弘文館刊)の扉頁口絵に同絵の白黒写真が掲載されてい、<品川駅の傾城をえがいたもの。「当世美人色競」の中の一枚で、政演の版画技量の最高点を示すもの>のキャプションあり。本文にも「政演画錦絵中の傑作」の項があって三頁にわたって同絵について説明されている。

 書かれた通りに理解していれば、新宿歴史博物館刊「特別展 内藤新宿」をひもとけば、同絵がカラー掲載で「内藤新宿の旅籠屋・橋本屋にいた食売女を描いたもの」のクレジット。さぁて、この京伝錦絵「坤驛」は果たして品川か? いや新宿か?。

 同絵は「近代デジタルライブラリー」でも公開されてい、拡大して見れば「坤驛」にしっかりとカタカナで「ヨツヤ」のルビ。さらに「橋もとのゑ」が読み取れる。大田南畝の洒落本『甲驛新話』の〝甲驛〟は、甲州街道の宿駅のこと。加えて同本文中にも旅籠屋(女郎屋)の品定め会話に〝橋本〟が登場。また橋本屋は「鈴木門主水白糸口説」で全国的にも有名。「坤驛」のルビ(ヨツヤ)、「橋もとのゑ」より、この絵は誰が考えても、内藤新宿の橋本屋の遊女画と判断できる。

 なのに、山東京伝研究の第一人者、故・小池藤五郎教授(1982年没。子息・小池正胤氏は黄表紙研究者)は「坤驛」を「品川宿」としたのだろうか。今度は別角度から「坤驛」を考えてみた。「坤」は「乾坤一擲」のコン。ひつじさる、つち、ひつじ。その意は①つち、地。②易の八卦の一つ。③女性のこと。熟語を構成する場合は女性の代名詞的役割をする文字。④ひつじさる。南西の方角。ちなみに山東京伝は『古契三娼(こけいのさんしょう)』で品川宿を〝南驛(シナガワ)〟のルビで記している。さて「坤驛」は江戸城からみて南西の驛の意で品川宿か。いや、これは③の〝女驛〟の意か。

 現在最も新しい山東京伝本が佐藤至子著『山東京伝』で、ここには天明三年刊の「青楼名君自筆集」(翌年に大田南畝の序、朱楽管江の跋で画帳仕立てになって「新美人合自筆鏡」の題で刊)についての言及はあるも、「当世美人色競」への言及は一切なし。ついでに言えば、浅草の京伝机塚の彫られた文(原文)を知りたかったが、同著にその記述はなし。さらには、この『甲驛新話』も大田南畝の作ではないかも~とハッキリせぬ。

 江戸後期なれど、知りたいことは「わからない」のが実情なんですね。なんとも情けない。図書館に行けば「日本の近世文学」のコーナーは腰が抜けるほど僅少。近世文学の世界、またその学者らの世界、実情ってぇのは一体どうなっているんだろう、と首も傾げたくなってくるんです。


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