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居続け田舎客と女郎の~(24) [甲駅新話]

koeki20_1.jpg<隣座敷><折江>アノ、ぬしやア、あすも居なんすかへ

<田舎客孫右エ門>まだ三晩げばかりもいちづけ(居続け)のヲ、すべへさ(「する」の田舎言葉)

<折>そんなに居なんして、首尾(事のなりゆき)が悪くハごぜんせんか

<孫>アニサ、今度もうら(「おら」の転。俺、おら)は、お地頭さま(ぢとう。小領主や代官か))の御用事で出たアに依て、「あぜ(何=なぜ、どうして)町宿(一般の町人宿)へさがらずと、おやしきにとうりょう(逗留)しろ」とつて、せち(「切=せつ、ひたすら、しきりに)におとゞめなさつたアけれども、お屋敷にとまつたア時にやア、御門(門限)がげへに(校注:とても)やかましくつて、出べへにも入(いる)べへにも、やれ切手(通行許可証)だあ、事の引手だあのとつて、おつくうだアから、君に逢事(あふこと)がならねへと思案のして、「あんでも(校注:なんでも)町宿へさがらねへじやア、御用事が弁じ申さねふ(用事が済まない)」と、ちくのヲ(常陸・下野の方言で嘘)ぶん抜いて(嘘を言い放って)、町宿さあに居るもんだアから、アニ(なあに)はあ、三晩げや四晩げ、いちづけのヲしたアとつて、あぜふすべへ

<折>夫でも、ひよつとおやしきの御用が有たらどうしなんす

<孫>そのよふなア、ぐん(段取り)もして置たアよ

<折>どうしてへ

<孫>定(じょう)づけへの与太郎を宿さあに置たアから、御用事があれバ、ふとつぱしり注進のヲする申かわしだアよ。もしハア、ちんじちうやう(珍事中夭=思いがけない災難)で、間にあわねへとつても、御家老さまでもあんでも、ひでんの入るもなァねへ(不明だが、苦情の入るものはねぇ、のような意だろう)。あぜといつて見なさろ、こらいつちやア、どふかはあ、みそをあげる(味噌を上げる=自慢する。手前味噌を並べる)よふだあけれども、うらが曾祖父(ひゐじい)の代から、でけへ御用金の出して置もんだから、あにハア、寝せべへとおこすべへと、うらが心儘(こころまゝ)だあよ

<折>ヘエ、そんなら田舎でも、さぞ、ミんながこわがりいせうね

<孫>そりやア、はあ申にくいこんだが、新田のヲ、孫右衛門といつちやア、誰しらねへ者もねへ。分限(金持ち)のヲ内でも、一といつて二たアさがらねへよ

<折>わつちやアね、ぬしが此月はじめに来なんす筈で、来なんせんから、いつそ案じいしたよ

<孫>アニ、ちく(下野の方言で、嘘)だんべへ

<杉>そんなら、誰にでも聞て見なんし。法印(山伏)さんを頼(たのん)で八卦を置たり、待人(まちびと=逢えるようにとのおまじない)をしたりしゐしたものを

<孫>いかさまハア、縁ぞく(縁が結ぶ、とでもいう言い回しか)といふもなア、あじなあもんだよ

 

 前回記した通り〝和印〟は出版されるようになったが、江戸時代の書籍は学者、好事家、大学などに秘蔵され、一般の人が見るのは叶わなかった。それが、なんということでしょうか。昨年末あたりから各大学などが蔵書する古典書籍類を次々にデータ公開するようになってきたじゃありませんか。この『甲驛新話』もしかり。今まで古典文学全集の新字体で読む他になかったのが、早稲田大学図書館のデータ公開で初めて原本(版)を読むことが出来ました。この積極公開に至る経緯はわかりませんが、なんと素晴らしいことでしょうか。感謝・感激・大絶賛です。このブログ『甲驛新話』は、公開データを祝しての歓びの表明でもあります。

 〝一般公開〟の反対が隠蔽、隠匿、秘蔵、秘密でしょう。昨今の行政は、なぜか時代に逆行して隠蔽方向です。「特定秘密の保護に関する法律」で国民の知る権利を奪い、先日は内閣決議で「集団的自衛権」とか。こちらは憲法の勝手解釈。今の内閣陣の顔を見ますと、とても信用できる顔ではありません。狸か狐か。そう思えるのも無理はなく安倍晋三の選挙区は山口県で、副総理・麻生太郎は福岡県。あたしには縁遠い存在。知らない人なんですね。そんな彼らによる勝手解釈の「内閣決議」で、日本が変わって行くのは、なんとも怖く、嫌な感じです。個人情報保護法だって逆に名簿流出が止まりません。どこでどう調べるのか、セールス電話の多いことよ。まずは江戸書籍のデータ公開活発化に大絶賛・大感謝です。


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