「おっせんす」と「ごぜんす」(29) [甲駅新話]
<金>谷粋さん、こりやアどふでごぜんす
<谷>まあ聞てくんねへ。宵から今までふさり(臥さる=うつむく。ふす。ねる。江戸語)やあがつて、ちつと起したとつて、そつちこつち(其方此方=そちこち=あれこれ)いやあがるから、あんまりいめへましい(ネット調べをしたら甲州弁辞典で=くやしい。谷粋は甲州出身か)
<金>それでも、おめへでもごぜんすめへ(校注:通人のお前ににあわないだろう。この「ごぜんす」については後述)。しづかにおつせんしな。
<三>アイサ、お腹のたつ事がおぜんしても、志づかにおつせんすりやアようおぜんす。
<谷>なんだな、おめへ方まであじに並びを付て(校注:いっしょになってだが、「あじ」は手際よく、こざかしく、調子に乗っての広辞苑にあり)おればつかりつき出す(広辞苑:遊女に始めて客を取らせる、が出てくるが、校注:悪者にする。)のか
<金>どふしておめへを突出もんでごぜんす
<綱>ナニサ、おかめへなんすな、わたしもそうおふにハつとめ(相応には務めた=裏意ではイタした)いした
<谷>又口を出しやアがる
<三>綱木さん、おめへハ、マア、あつちへいきなんし
<綱>アイ、そんならゑへよふにお頼もふしんす ~と立ってとなりのざしきへはいり~ 哥松さん、おやかましうおぜんせう~
<哥松>アイ、なんだなむづかしねへ
<綱>ナニサ、もふいつそすきいせんよ
<哥>たばこを呑なんせんか
<綱>まあ、往て来いせう
<三>成ほど、お腹の立事もごぜんせうけれども、どふぞきげんを直しておくんなんし、わつちがどのよふにもあやまりいせう
<谷>そりやアもふ、思しめしおかたじけなふごぜんすが、あんまり安くするからのこつてごぜんす。そしてマア、おめへの前じやアいひにくうごぜんすが、こゝれへ来てあつかわれた(ここ新宿に来て安っぽく扱われちゃ)といつちやア、どふもげへぶん(外聞)が悪ふごぜんす。大きな声をしていふがミめ(見目=面目)でもねへけれども、あんまりでごぜんさあナ
<三>ほんに綱木さんも悪ふおぜんすが、あの子も若ふおぜんすから、気が付なんせん、そしてぬしも ~金公が事~ きげんよく居なんす事でおぜんから、ちつとハ御ふ肖(不肖=父に似ないおろかなこと、とるにたらないの意だが、校注=胸に収めて。校注の判断元を知りたいものです)もなんして、マア、お休みなんしよ
<谷>ナニサ、今からけへろうの何のと、おやしき物かなんぞのよふに、いやミからミをいふのじやアごぜんせん
<三>そりやアもふ、何おめへを悪く思ひす物でおぜんす。堪忍せへしておくんなんせバ、何も申事ハおぜんせん
<金>モウ、夜があけるそふだ。阪見屋も来やせふからきげんを直しなせんし
<谷>ナニサ、きげんを直すの直さねふのと、寝起のやゝさまじやアあるめへし
<三>コレサ、そんな事をおつせんしちやアふしが立て(角が立つ)悪ふおぜんす、なんでもわつちにおくんなんし
<五郎八>~ろうかより~ はい、お迎でござり、あす
<三>五郎どんか、とんだ早いね。サア、這入てたばこを呑なんし
ここでは遊里語の「おつせんす」と「ごぜんす」について記す。「おっせんす=おっしゃります。(言う)の尊敬語と辞書にあり。 「ごぜんす」は辞書になく、こう判断した。「御ぜんす=おぜんす=おぜえす」。こう変化すると考えれば「おぜんす」は辞書にある。「おぜんす=おぜえす=「ある」の丁寧語でござります。あります」。「ございます、ござんす」に当たるが、それより敬意の度は低い。「ございます」のありんす言葉は「ござりんす」。文脈から「ある」と判断したが、これで正しいとした。
江戸言葉については、以前調べたことがあって数冊の辞典が本棚にあり、子供時分を思い出すべく志ん朝落語口演本も読みこんだ。一方、遊里(廓)言葉は広辞苑に載っている言葉もあれば、載っていない言葉も多い。校注者はどんな資料でどう判断したのだろうか。
中野栄三著『江戸秘語事典』は6081円。真下三郎著『遊里語の研究』は古本で2700円(定価は1万円位か)、『江戸語大辞典』は古本で6042円。『江戸語辞典』は定価で20520円。隠居遊びゆえ、そこまではいらんように思うが、まぁ、古本市で安く出廻っていたら購いましょう。
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