めらめらと燃へ行く後の我が身かな [週末大島暮し]
台風で落ちた煙突を直していただいた。直し方が良かったのだろう、その後の幾度もの台風にも耐え、しっかり立っていた。昨年に伐採木をいただき、チェーンソーと斧で薪を拵えておいた。それで薪ストーブを存分に愉しませていただいた。芋もいただいた。アルミホイルで包んで放り込み、幾本もいただいた。
「いただく、戴く」と謙譲語。かくも島の方々の助けをいただいて「薪ストーブ」を愉しみ、「島暮し」をさせていただいている。燃える木々も伐採されるまでは自然の摂理を果たしていたのだろう。それをいただき暖をとる。
ロッジを建てた20数年前は血気盛んだった。ストーブの中で元気よく燃え上がる炎を見つつ昔を振り返る。炎はやがて熾火になり灰になる。さて、心静かで穏やかな隠居暮しが送れるだろうか。
ストーブの暖に包まれながら横井也有「鶉衣」を読んだ。こんな文があった。~官路の(小生は場合は生涯フリー)険難をしのぎ尽し、功こそならぬ、名こそとげね、ほまれのなきは恥なきにかへて(小生は誉もなく恥は多く)、今此の老の身しりぞき、浮世の塵を剃りすつべきは、いかでうれしとおぼさざるや。
これは也有翁が隠居して髪を剃る辨だが、あたしはすでに40代で長髪を切って坊主頭なり。さて隠居して浮世のどんな塵を払うべきかと考えてみた。<秋の大島暮しシリーズ>これにて終わり。
2014-12-13 07:15
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