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鶉衣2:也有翁とは [鶉衣・方丈記他]

yayuou1_1.jpg 『鶉衣』本文に入る前に、横井也有とはどんな人物や。新宿図書館蔵書の「横井也有」を検索してみれば僅か数冊のヒット。しかも単独の書はなく、何人もの評伝のなかの一人。まず寛政十年刊の三熊花顛の文・絵、伴蒿渓の校訂『続近世奇人畸人伝』(五巻五冊)が、中野三敏校注の現代語訳で「中央クラシックス」より出てい、そのなかに「横井也有」の項があった。

 也有(やゆう)。横井氏、俗名孫左衛門、尾張の士也。篤実、謹厚にして文雅を好み、殊に俳諧に長じ世に名有。(芭蕉流を喜びてしかし定れる師なしとぞ) 閑田子、一とせ彼国に遊びて其著述『鶉衣』、『うらの梅』といふ俳諧体の文集をみるに、そのさまいやしからぬのみか、鼓舞自在、比類なく覚ゆ。はた生前をよく知る人にあひて其行状をきくに、文章にかゝれたる趣と言動一致なるに感ず。そして伝え聞く人となりは~として多少の逸話が追記されていた。

 次に磯辺勝著『江戸俳画紀行』(中公新書)の最初の項が「横井也有~楽しき隠居暮らし」。~尾張藩で千数百石どりという、大名に近いような身分の上流武士であったが、五十三歳で家督を譲って隠居。俳諧に遊びつつの悠々自適の日々を過ごし、八十二歳で死んだ人物。勝手にしてくれ、といいたくなるような結構なご身分である。著者は也有の身分を妬たんでいるのか。あたしは貧乏隠居だが、也有翁をそんな風に妬んだ眼でみたことはない。

 次がぺりかん社刊の徳田武著『江戸詩人傳』。漢詩人評伝集。横井也有の項で、彼の漢詩から「荘子」の養生思想が読み取れると指摘。名利を得るより、自己の資質にしたがって、貧しくも精神の自由を得、肉体を安んじさせ、この生を愉しもうとする思想が伺えるとし、『鶉衣』にも荘子の思想の反映がいたる所に見られると分析。また注目すべきは、彼の隠棲を考えると徳川宗春の失脚事件が欠かせぬの指摘があったこと。

 宗春と吉宗については次回に記すが、也有は名古屋尾張藩の用人ゆえ、吉宗に反抗する宗春の無茶振りに藩内右往左往のなかで仕えていたはず。ほとほと宮仕えがいやになったと思われる。なお同書には也有句集『羅葉集』(明和四年)巻頭に収められた「横井也有肖像」が掲載されていたが、ここでは「国文学名家肖像集」の横井也有像を着色模写で遊んだ。


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