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妻と娘がゲシュタポの手に安否なし [スケッチ・美術系]

musume2_1.jpg<マティス・メモ10> ●1939年、ヒトラー、ポーランド侵攻。フランスは英国に次いで宣戦布告。マティスはリディアに戻ってくれと懇願。裕福な老人画家と若く美しい女の二人暮し。リディアは屋根裏部屋の寝泊まりで一線を画す。

●ヒトラー、フランス侵入。フランス降伏。●戦時下にモデルを40回も使って「夢」を1年かけて完成。(かなり抽象っぽい絵で果たしてモデルが必要だったや?)●1941年、71歳、リヨンで結腸手術。昼夜交代の看護婦を雇い、新しいモデルを何人も雇う。静物画連作で「マグノリアのある静物」。ピカソは「マティスは魔術師だ。超自然の色彩ではないか」(赤い敷物、黄色の貝と花瓶と花、紫と緑の花瓶)●1943年、絵具も入手できず。

●1943年7月、連合軍がイタリアを支配下に。翌日、ドイツ軍がニースに侵入。娘マルグリットが共産党地下組織の密使として活躍。妻アメリーも地下組織から英国諜報部へ渡す報告書を作成。●1944年4月、娘と妻がゲシュタポ(ドイツ秘密国家警察)に逮捕される。マティスはボードレール「悪の華」挿絵を描く。8月24日、パリ解放。

●アメリーはフレンヌの刑務所で6カ月収監。娘マルグリットはレンヌで投獄され、家畜用トラックでドイツのラーフェンスブリュック強制収容所へ送られ、連合軍上陸情報を得んと死に追い込むほどに厳しい尋問を繰り返し受ける。10月初めに釈放。

●ピカソは共産党に入党していたことを公表し、再開されたサロン・ドートンヌはピカソを称賛する場になった。ピカソは政治的発言でさらに人気を高めたが、本物の苦しみをなめたマルグリットは覚めていたとか。●カット絵は、マティスが描いた若い頃の娘マルグリット(先妻の娘)の簡易模写。


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