SSブログ

娘とリディアに看取られ84歳で没 [スケッチ・美術系]

kirie1_1.jpg<マティス・メモ11ラスト> ●1945年、75歳。「これから装飾をやる」と切り絵コラージュ「ジャズ」に専念。ピカソと共に当時のマティスを訪ねたフランソワーズ・ジローは、こう記している。「彼の滑るような指の動きと切り出される絵に息も出来なかった。凝縮と省略を特徴とする切り絵」。そしてリディアの秘書としての有能さに感心。

●マティスとリディアの関係はまさに一体。他画家らの羨望の的。すでにマティスは妻と最後に会ってから6年余も経ていた。●1947年、生涯最後の油彩画「青いテーブルのある赤い室内」「ザクロのある静物」「ヴェネチアン・レッドの背景とザクロのある静物」。

●この頃になって「フランスが無条件で誇れるのは芸術だけ」と、マティスを国宝級存在にする動き。●1947年、英国にピカソとマティス作品を貸し出す。サロン・ドトーヌはマティスを称える特別室を設置。●1949年、南フランス、コートダジュールのニースの北の山裾、ヴァンス村に礼拝堂造りに着手。ステンドグラスはパリで制作。●1951年、「ロザリオ礼拝堂」完成。●1954年11月3日、娘とリディアに看取られて84歳で没。

●リディアは15年前から用意していたスーツケースを持ってアトリエを去り、代わって妻アメリーがアトリエに入って遺品整理。●シミエの教会で告別式。リディアは呼ばれなかったとか。

 1954年と云えば昭和29年。マティス没の日に東宝「ゴジラ」公開。力道山の活躍でテレビ普及。そんなに昔のことではない。これにてマティスのお勉強はひとまず終わり。最後のカット絵は、車椅子で切り絵をするマティス写真を、万年筆でコピー紙に描いた。

  なお他に読みたい書は「マティス画家のノート」(みすず書院、6480円)、ジェームス・モーガン「マティスを追いかけて」(アスベクト刊、3024円)。後者は60歳を迎える初老夫妻(編集者から作家)が、家を売ってマティス足跡を旅するドキュメント。あたしには家を売ってまでマティスの旅をする程の気持ちはなく、これら本も古本屋で巡り合ったら買いましょ、という程度。晩年マティスの姿を想像すると、なぜか荷風さんの隠棲暮しの方がいいなぁ~と思ってしまった。うん、絵だって荷風さんが「断腸亭日乗」に時々描く程度の絵が描けたらそれでいい、とも思った。


コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。