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芭蕉旅立つ千住にて小松崎展 [スケッチ・美術系]

komatuzaki2_1.jpg マティス関連書を読んでいた11月某日、「荒川ふるさと文化館」開催「小松崎茂展」を観に行った。上野京成駅から「千住大橋駅」下車。ここから隅田川を渡ると、そこは芭蕉旅立ちの地(奥の細道矢立初の碑あり)だった。「行春や鳥啼き魚の目に泪」。〝魚の泪〟はそれまで世話になった日本橋魚河岸の鯉屋「杉山杉風」の別れの泪と解釈したい。

 さて同展は小松崎茂の少年雑誌の口絵・挿絵、プラモデル箱絵など。それらは概ね原寸ゆえに、その緻密な描写を知ろうと思えば、顔を近づけての鑑賞になる。だが作品保護でえらく暗い照明。入念に筆触などを鑑賞したかったが叶わなかった。「観終わった後で購う図録でじっくり鑑賞」と思ったが、図録は全作品縮小掲載で目論見は外れた。

 帰宅後、図書館で改めて「ロマンとの遭遇~小松崎茂の世界」(図書刊行会)、「小松崎茂と昭和の絵師たち」(学研刊)、「SFメカニックファンタジー 小松崎茂の世界」(ラピュータ刊)を借りた。氏のプラモデル箱絵「零式艦上戦闘機ゼロ戦52型」を簡易模写。面相筆を動かしつつ、若かった頃を思い出した。

 小生はずっとフリーだが、会社員生活が2社計4年ある。最初の1社目にアクリル絵具でメカニカルイラストを描くフジノ君がいた。エンジン断面図や巨大タンカーなどカタログ用イラストを描いていた。2社目にカット絵のイノちゃんがいた。その後は多くのカメラマンと仕事をしたが、〝絵を描く仕事〟の人との付き合いはこの二人だけだった。彼らはどうしているかなぁと思った。もし彼らがこの零戦模写を見たら「ダメだよ、ゼロ戦はもっとシャープに描かなければ~」と叱責するに違いない。

 追記)戦争中に㈶機械化国防協会が編纂の雑誌「機械化」で戦闘機、戦艦、戦車などを描いていた小松崎茂は、昭和18年の第一回陸軍美術展に「ただ一撃」を出品。陸軍美術協会理事長から賞賛され、それを後年まで自慢していたとか。その理事長こそ、あの藤田嗣治だった。


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