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「悪玉踊り」の歴史(悪玉踊り14) [北斎・広重・江漢他]

akudamarekisi1_1.jpg 北斎「悪玉踊り」は「うかれ坊主」(願人坊主)のなかの踊りでもあったので、改めて「悪玉踊り」関連史をまとめて終えたい。以下、時系列で整理する。

 まず寛政2年(1790)に山東京伝が「心学早染艸」で悪玉・善玉キャラクターを登場させた。文化8年(1811)に三代目坂東三津五郎が常磐津「願人坊主」(通称:うかれ坊主)を初演。ここで演じられた「悪玉踊り」が流行って、北斎が「踊独稽古」(文化12年・1815)のなかで「悪玉踊り」を描いた。

 そして天保3年(1832)の歌舞伎舞踊「弥生の花浅草祭」(通称:三社祭)の後段に善玉・悪玉の踊りが登場。昭和4年(1929)に六代目尾上菊五郎が清元「うかれ坊主」に改作して歌舞伎舞踊にした。現在も通称「三社祭」「うかれ坊主」が公演演目となっている。

 山東京伝によって生まれた悪玉キャラクターの踊りは、何と226年もの歴史を有する踊りとして現在も演じられている。ちなみに常磐津・清元「願人坊主」は、概ねこんな感じで始まる。 ~十四の春に一軒隣んのまた隣のおばさんとちょぼくり、色のいの字で味を覚え、裏のかみさん、向かいのおばさん、お松さん、おっ竹さん、椎茸さん、干瓢さん、お触り次第~

 とまぁ奔放な性遍歴が唄われて「悪玉踊り」の ♪とんびからすにならるるならばとんでゆきたやぬしのそば~」が始まる。また「悪玉踊り」の続きは「願人坊主」(うかれ坊主)へ戻って、手桶をくるくるまわす所作に入って行く。

 「願人坊主」の歌も、なんだか「バレ句=下ネタ川柳」と無縁ではない感がしないでもない。「ちょぼくれ」は上方の「ちょんがれ」で願人坊主の門付け芸だろうが、バレ句のように裏の意があるのだろう。なお北斎の「踊独稽古」は「悪玉踊り」の次に「團十郎冷水売」が描かれている。

 人を描く練習、久々に「くずし字」復習、人体構造、北斎の川柳、江戸のバレ句、歌舞伎舞踊~と多岐にわたって勉強させてもらって、このシリーズを終える。


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