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府中「たび人もこひをするがの二丁まち~」 [狂歌入東海道]

20fucyu1_1.jpg 第二十作目は「府中」。狂歌は「たび人もこひをするがの二丁まちおもひはふじの雪とつむらじ」。ボストン美術館では「たび人はたびを~」。間違いだろう。絵を見ればわかる通り〝廓風景〟ゆえ、漢字で書けば「旅人も恋を駿河(するが)の二丁町想ひは富士の雪と積むらじ」。「つむらじ」の〝じ〟は打消しで〝積もらず〟か。

 「駿河の二丁目」は公認遊郭。〝ゴマの灰〟に金を盗まれた弥次さんは、駿府出身ゆえ親戚かに金の工面をしてもらって、まず宿の入口近く伝馬町に宿をとった。ここから遊郭へ遊びに行く。宿の主人に二十数町あるゆえと馬をすすめら、大門で馬を降りて廓の中へ。江戸の吉原と似た造りで悦楽の夜。朝方に宿へ戻って朝飯をとった後に鞠子へ向けて旅立った。

 今井金吾著『今昔東海道独案内』には「家康が駿府に入った初め、戦国名残りのけんかが絶えず、人心を柔らげるために造った遊郭という。一時は七丁もあったが、江戸吉原に五丁が移り、残りの二丁は昭和三十二年まで続いた」とあった。これは知らなかった。

20fucyubun_1.jpg20fucyuup_1.jpg 保永堂版は「府中・安部川」で、渡しの様子が描かれている。弥次喜多らも安部川の川越し人足から声をかけられて値段交渉。雨で水高ゆえ一人六拾四文也。二人は肩車で渡り切って酒手をはずんだ。だが人足はなんと川上の浅瀬を渡って戻って行くではないか。クソッ、騙されたと一首。

「川ごしの肩車にてわれわれをふかいところへひきまはしたり」。校注に「川越し人足」の説明あり。「川越し人足は東海道の酒匂・興津・安倍・大井の四川にあった。旅人は川会所で川札を求め、人足に頼む。蓮台・手引・肩車・馬越しの方法があった。膝下水は拾六文、乳通水は六拾四文など六段階の料金が決まっていた。


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