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赤坂「双六とともにふり出す髭奴~」 [狂歌入東海道]

37akasaka_1.jpg 第三十七作目は「赤坂」。狂歌は「双六とともにふり出す髭奴名を赤坂の宿にとどめて」。疎い分野だが「髭奴=牛若丸に赤坂宿で成敗された〝熊坂〟」のことらしい。描かれた絵は、宿場見附から出た所の満月。

 弥次さんは、喜多さんを後手に縛ったまま(狐だと思って)、夕闇濃くなった赤坂宿に入った。もう留女も出て来ず、犬が寄ってきた。犬が騒がぬことから、喜多さんが狐ではないとわかって、やっと縄を解く。

 泊った宿では、主人の甥が嫁をもらう祝言騒ぎ。その夜は弥次喜多らの隣の部屋で新婚初夜。いちゃつく声が聞こえ、二人の心が騒ぎ出す。襖をそっと開けて初夜の二人が睦合う様子を覗き見る。勢い余って隣の部屋に襖ごと雪崩れ込んで大騒ぎ勃発。喜多さんの言い訳が「手水へ行く戸を間違えて襖を倒した」で、弥次さん思わず噴き出した。

37akasakauta3_1.jpg 「婿嫁のねやをむせうにかきさがしわれは面目うしなひしとて」。「嫁」の字は女偏に取。異体字辞典には載っていなかったが「くずし字辞典」に載っていた。「むせう=無性(むしやう)」の旧仮名違いだろう。弥(や)、起(き)盤(は)は変体仮名。

 保永堂版「赤坂・旅舎招婦ノ図」は、旅籠内部を中庭から描いた絵。これを見ると、弥次喜多らの旅籠での騒動もリアルに浮かんで来る。絵には風呂から出て手拭を肩に部屋に戻る男、飯盛女らが化粧に余念のない控え部屋、配膳準備中の女中たち、ご用命に返事をしている按摩さん、横になって寛いでいる旅人~などが描かれている。

 旅籠料金は一泊二食付きで百~三百文(二千~六千円)ほど。お金に余裕がない旅人は木賃宿。相部屋・雑魚寝で自炊。これは三十二文~百文(六百四十~二千円)ほどか。なお芭蕉も泊ったという旅籠・大橋屋が、当時の建物で営業していたらしいが、最近になって三百六十六年続いた営業を止めたらしい。

 そこに芭蕉句碑あり。「夏の月御油より出でて赤坂や」。御油から赤坂まで僅か二キロ。月の出ている間に赤坂に着くの意。これ句碑通りのくずし字で書いておく。「農=の」「与季=より」。このくずし字も変体仮名(変体仮名=明治33年以降、学校教育で用いられなくなった平仮名。異体仮名)。以上で膝栗毛四編(上)終わり。

 ※くずし字、古文書の勉強はまず変体仮名から覚える。通常は「いろは」順に変体仮名を覚えるが、小生は現代っ子ゆえ「あいうえお」の変体仮名表を作って覚えた。


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