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関「くゞつめに引とめられて定宿の~」 [狂歌入東海道]

48seki_1_1.jpg 第四十八作目は「関」。狂歌は「くゞつめに引とめられて定宿の言訳くらき関の旅人」。「くゞつめ」を古語辞典でひく。「傀儡(くぐつ)=各地を漂白した旅人。くぐつの女が歌舞に優れ売春もしたことから=浮かれめ、遊女、くぐつめ〈女)。「くらき」には煩悩に悩まされ迷う意もあり。

 そんな女に引き留められて、定宿では言い訳も後ろめたい。同宿はそう詠われるほど〝くゞつめ〟が多かったらしい。女郎屋が五軒、飯盛女のいる旅籠が五十軒とか。

 狂歌は妖しいが、絵は逆に本陣より大名出立の緊張が張りつめている。見送る役人らが仰々しく見送っている。保永堂版「関」も同じく「本陣早立」の図。まだ明けやらぬ朝に身支度の武士や駕籠が待ち構えている。関宿の本陣は川北本陣と伊東本陣(松井家)が道を向かい合っていた。保永堂版は川北本陣らしい。

48sekiutaup_1.jpg ならば、この絵は伊東本陣だろうか。関宿でなぜに本陣に泊る大名一行が描かれたかは伊勢街道との分岐「東の追分」、大和伊賀海道への「西の追分」があり、加えて隣の亀山が城下町で、儀礼の面倒くささが敬遠されてのことらしい。

 それで大いに賑わった関宿だったが、明治20年代に亀山駅が開通し、「JR東海」が名古屋~亀山。「JR西日本」が亀山~大阪になって、亀山発展に比して急凋落。その影響が幸い?してだろう、古い町並みが今も遺されているらしい。東西追分間が約1.8㎞で、伝統的町屋が二百軒余遺されて「重要伝統的建造物保存地区」「日本の道百選」に指定。江戸時代にタイムスリップしたような街並みで、今も人々が生活しているそうな。ここまで机上の東海道旅を続けて来て、初めて訪ねてみたいと思った宿場です。


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