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石部「都女のはらをかゝへてわらふめり~」 [狂歌入東海道]

52isibe_1.jpg 第五十二作目は「石部」。狂歌は「都女のはらをかゝへてわらふめりはらみ村てふここの名どころ」。漢字で書く。「都女の腹を抱へて笑ふめり孕み村てふこの名処」。めり=~のようだ。てふ=~という。

 〝はらみ村〟には驚いた。そこは石部宿を出て草津宿へ向かう途中、現JR西日本草津線「手原」駅辺り。手原村の由来が〝手孕村〟。歌舞伎「源平布引瀧」に〝手を産み落とした〟という伝説があって、そこからの命名とか。手原村の先に「草津の追分」があって、「右・中山道/左・東海道」の道標。

 石部宿に戻ろう。この絵は石部宿の旅籠風景。梅が咲く中庭から旅籠内の様子が描かれている。風呂場で疲れを癒す二人組(この風呂桶がカッコいい)。按摩さんに肩を揉ませて気持ちよさげな男。その前の着飾った女は何者なのだろう。同宿は京から約九里十三町。京立ちの旅人が最初に泊る宿場(本陣二軒、旅籠三十二軒)。宿場には旅籠を含み四百五十八軒の町並が続き、道中薬(胃薬)「和中散本舗」跡(重要文化財)が当時の豪商の忍ばせる。

52isibeuta_1.jpg 同宿には芭蕉「躑躅いけてその陰に干鱈割く女」の句碑あり。芭蕉が昼食をせんと茶店に寄ったら、山からとってきたばかりの躑躅が瓶にあり、その裏で客の顔を見た女房が干鱈を割いている、との情景を詠っている。

 宿を出て、冒頭の〝はらみ村(手原村)〟へ。さらに西へ幾つかの立場を経て「草津宿」手前の立場・目川の里へ。ここの風景が保永堂版に描かれている。名物が菜飯・焼き豆腐の田楽。旅人らはそれで小腹を満たしたに違いない。やがて草津川を渡って「草津宿」へ。


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