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「スマホと古井戸」物語 [暮らしの手帖]

furuido1.jpg 近所の裏路地へ入ったら、古井戸があった。スマホのシャッターを押せば「ガシャガシャガシャ」と凄まじい連写音。静かな路地ゆえ腰を抜かすほど驚いた。なぜこんな余計な機能を付けたのだろう。

 その後は「連写をさせない=LivePhotosをオフ」にして写真を撮る。シャッター音を消す法もあるらしいが、面倒なのでスピーカーを指で塞いで撮った。それも面倒になってテープで塞いだ(電話時にテープ着脱が簡単な小細工をして)。

furuido8nen_1.jpg そしてまたスマホの調子が悪くなった。「Gmail」アプリが<ネットワークリクエストはタイムアウトしました>と出て、埒が明かない。ネットを見れば、多くの方がコレに困っていた。息子が再インストールで直してくれたが、連動していたか「あの表示が消え、あの機能が使えず」など。なんだか、無性に〝ガラゲー〟の安定感が懐かしくなった。

 「Windows10」の強引アップグレードの誘いで「10」にしたことがある。最初は新機能を喜んでいたが、仕事で使えぬ機能が幾つかあった。慌てて「8.1」に戻してもらって、慣れ親しんだ画面・機能にホッとしたものだ。だからと言って今さらガラゲーに戻るのもシャクだ。スマホは新機能開発にかなり無理をしているな、と思った。

 古井戸写真を見れば、昔も撮った記憶あり。調べればブログ開始の8年前頃で、未だスマホ登場前のこと。両写真を見比べれば〝朽ち行く8年〟が見えた。それは我が肉体も同じ。高齢になって俄かにCT検査、MRI検査、大腸内視鏡検査が続いた。己の身体内部映像を見るなどということは想像も出来なかった。「朽ちたこの肉体で、あと何年生きられるだろうか」。

 子供時分は井戸のある生活だった。祖母は洗濯の〝濯ぎ〟に入ると、孫のあたしに井戸を汲み続けることを命じた。まだ家にテレビも電話もなく、ラジオから広沢虎造の浪曲が流れていた。「こんなに時代が変わっていいのだろうか」。地球も世界の政経も悲鳴を上げている。


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