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角筈村で首縊相果罷在候 [くずし字入門]

komon11_1.jpg 古文書講座の復習2:教材は享和二年(1802)の新宿・角筈村で自殺者発見の報告書。講座より気の向いた教材のみの復習です。古文書は直筆ゆえ人によって丁寧な字、癖字、下手な字、乱暴な字、メモ書きなど多彩。実に読み難い。

 小生はまず、それらを〝漢字くずし方辞典〟に載っているような正しい?字〟のように書き直し(左写真)てから解読、音読する勉強法を採っている。

 乍恐(おそれながら)以書付(かきつけをもって)御届奉申上候。一(ひとつ)角筈村名主傳右衛門(右は読まず〝でんえもん〟)奉申上候、當村秋元但馬守様御抱屋鋪(おかかえやしき)御囲内(おかこいない)二、年齢五十才余二相見江(あいみえ)候男、楢之木枝江細引二而(て)、首縊(くびくくり)相果罷在(あいはてまかりあり)候、尤着服之義者(もっともちゃくふくのぎは)、木綿藍じま綿入レを着シ、下ニ縞木綿単物(ひとえ)を着シ、太織帯を〆、脇指(差)を帯(たい)シ、相果居(あいはており)申候、依て此段、以書付御訴奉申上候、以上。

 おぉ、享和二年と云えば、十返舎一九が『東海道中膝栗毛』初編を出した年ではないか。四編までの版元は日本橋・通油町の村田屋治郎兵衛。長谷川時雨の生まれ育った地。現・日本橋大伝馬町。

 新宿・角筈村は現・新宿西口高層ビル群と熊野十二杜辺り。今〝角筈〟の地名はないが「角筈公園」「角筈図書館」などに名を残している。首縊男は〝中間体〟とか。内藤新宿で遊び過ぎて破滅の道を歩んだ男だろうか。


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