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鬼平と流刑と大島と [くずし字入門]

komon2-2_1.jpghatakekazai1_1_1.jpg 古文書講座復習5 遂に鬼平が遠島を仰せ付ける文書が教材になった。江戸の流人は当然のこと伊豆諸島へ。伊豆大島が流人御免になったのは寛政8年。それ以降の遠島は概ね三宅島、新島、八丈島になった。

 この文書は寛政5年ゆえ、遠島先は大島だったかも知れない。だが大島は幾度も大火に遭って、古文書類焼失で「流人」記録は残っていない。さて、以下文書の「留五郎」はどの島に流されたのだろうか。

乍恐以書付奉申上候 豊島郡角筈村名主・組頭・百姓代奉申上候、當村百姓留五郎義、先達而(せんだって)長谷川平蔵様於御役所(お役所において)遠島被仰付(おおせつけられ)候二付、家財闕所(かざいけっしょ=付加刑で家財没収)二被仰付候二付、此度畑屋敷家財望人有之(望む人これ有る)候ハゝ入札可仕旨(つかまつるべくむね)、御触御座候、右畑屋敷土地悪敷(あしき)、村方望人無(のぞむ人なく)御座候、依之(これにより)別紙直段附二而(ねだんつけにて)村引請二被仰付(むらひきうけにおおせつけられ)被告下置く(くだしおかれ)候ハゝ、御請可(おうけるべく)奉申上候、何分右之段御聞済(おききずみ)被成下(なしくだされ)候様奉願上候、以上。

 上記筆写の「畑屋敷家財」の所、「家」の字が抜けた。「敷」と「家」のくずし字がちょっと似ていたためのミス。その原文部分を写真で紹介。ここから解読するのだから、いかに大変かが分かっていただけよう。〝別帋〟は紙の異体字〝帋〟です。なお講師説明では、留五郎の畑屋敷を望む者はなく、角筈村が合計一両二分で買い取ることになり、留五郎が属していた組合の者三名が同額を上納したそうな。


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