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漱石の最期(漱石10) [永井荷風関連]

sousekihaka1_1.jpg 前述した夏目鏡子述、松岡譲筆『漱石の思ひ出』より、その最期を読んで、ちょっとショックを受けた。鏡子夫人は漱石臨終を看取った後で主治医に「この死体をおあづけ致しますから、大学で解剖してくださいませんか」

 翌日、遺体は大学で解剖。同書にはなんと、大正5年12月6日の解剖執刀博士の講演~「夏目先生の脳はこうで、腹部の膨張はあゝで、あそことここに癒着が~」などの解剖報告が12頁に亘って全掲載。

 「糖尿病と胃潰瘍という大きな病を持っていた。(略)糖尿病による精神病の〝追跡狂〟なる症状もあった。誰か自分のことを悪く言って居たりはしないかといふ様なことが大分あった」。

 荷風さんが例を挙げた個所だな。荷風さんならずとも、ここまで赤裸々に公開する必要がありましょうか。小生も〝言語道断の至り〟と嘆き、かつ腰が抜けるほど驚いてしまった。

 話を戻して最期に至る経緯を辿ってみる。知人の結婚式に出席した翌日、通じがなくて夫人が浣腸(始終のことらしい)。書斎に戻って『明暗』執筆かと思っているも、女中が机に俯せになっているのを発見。ここから大騒ぎ。

 幾人もの医者が集まって意見がまとまらず、主治医を真鍋医師に決定。漱石「頭がどうかしている。水をかけてくれ」。直後に眼が白くなった。口移しで水を与える。翌日、漱石の腹が膨らんだ。内出血か。主治医が他博士らを呼ぶ。朝日新聞に発表。門下生らが交代で夜番。子供らがどこから聞いてきたか「写真を撮ると死期を脱する」で朝日新聞カメラマンに撮らせた。

 和辻哲郎が気合術を勧める。多数の看護婦らが反目し合う。四女が枕元で泣く。夫人が「泣くんじゃない」と叱れば、漱石はそれが聞こえたか「いいよいいよ、泣いてもいいよ」。意識がなくなり、別れを惜しむ方へ水筆が次々にまわされる。12月9日永眠。葬儀費用を心配する門下生に、夫人は株券を売ったお金が3万円で朝日新聞からのお金を併せて計4万円也と財産調べ。

 戒名は「文藝院古道漱石居士」。茗荷谷の寺で仏事。青山斎場で葬儀。夫人の弟が「大小様々な葬儀に係ったが、夏目兄さんの葬儀ほどやかましかった葬式は外にない」。埋骨式後にデスマスクも完成。墓は妹婿の建築士(松坂屋や三井銀行を設計した鈴木偵次)が設計。西洋でも日本でもなく安楽椅子にでもかけているような、で写真の形になったとか。

 上記を読み「あぁ、やはり荷風さんのようにひっそりと死んで行く方がいいなぁ」、「お墓も荷風さんのように控え目、シンプルがいいなぁ」と改めて思った。今年は夏目漱石生誕150年。今年こそは、幾編かを最後まで読み通してみましょ、と思った。まずは『草枕』からかな。(完)


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