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「大島元町復興計画書」を見る [週末大島暮し]

namekuji1_1.jpg 大島へ行かずとも吉阪隆正チームによる「大島元町復興計画書」を見ることが可能かしら。東京都立中央図書館に『吉阪隆正集全17巻』があった。第12巻『地域のデザイン』に「大島元町に対する提案」と「大島元町復興計画」が収録。

 広尾駅下車、有栖川公園の都立中央図書館へ。同書を見たが、それは全てではなく僅か8頁のみ。そのリード文は次の通り。「大火の翌日、吉阪隆正を中心とするDISCONT(不連続統一体)グループは、元町再建案を作成し、ただちに現地にとび、地元住民組織および町、都関係者に提出した。これが吉阪研究室と伊豆大島の出会いとなり、以降1970年まで続く諸調査計画のスタートとなった」

 最初の提案は、港へ向かう緑の道路、公共機関を配置したシビック・センター、店舗をアーケード中央に納めて上部に民家を設けた山型建築(雛壇風)の提案。これが未だ残り火がくすぶるなかの提案で、住民を驚かせ、かつ夢と勇気を与えたらしい。

 ここから区画整理事業が住民積極参加で始まった。上からの復興施策への批判も活発で、吉阪研究室を中心とした調査計画案が元町復興協議会など地元住民に支持され、同年9月に正式に町より復興計画依頼を受けることになって、以降1967年に至るまで、様々な調査と計画、提案がなされた~と記されていた。

 同書には、その第1次報告書段階の「区画整理への提案と将来ヴィジョン/全体再建計画書、水取り山計画、参道・遊歩道計画等」が掲載。続いて第2次、第3次報告書が提出されたそうだが、それがどんな内容だったかも気になる。

 また同交流が深まって、島南部の設計なども頼まれたらしい。ネット検索では「旧波浮小学校、第3中学校、体育館兼講堂、大島町役場、野増出張所、野増灯台、庁舎、図書館、吉谷公園、公衆便所~」など〝大島一連の仕事〟列挙されたりしているが、それら計画書・設計資料には出会えず、それらが果たして吉阪チームによるものだったかは定かでない。

 東京都立中央図書館にも「昭和40年・元町大火」関連の資料はまったくない。この辺は島民の方でないとわからないのかもしれない。またそれらは吉阪隆正の代表的建築とも言えず、明示に至らずと解釈されているのだろうか。願わくは吉阪チームが手掛けた建築一覧、または写真一覧など見てみたい。まぁ、それが叶わゆえに、ここは吉阪チームによって「町つくり」、「発見的方法」、住民参加の「ワークショップ」などが生まれたと認識するだけでいいのかも知れない。またここで生まれた考え方は、平成25年(2013)の台風26号による土石流災害からの復興にあたっても参考になったらしい。

 以上で当シリーズ・完としたいが、そもそもが「大久保と大島」がテーマゆえ、最後に吉阪隆正著『乾燥なめくじ』で新たに知った百人町の吉阪邸などについて記しておきたい。(大久保と大島を結んだ建築5。6へ続く)★挿絵は『乾燥なめくじ』表紙模写とメモなど。


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