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九鬼と荷風の〝風流〟 [永井荷風関連]

kukitokikue1_1.jpg ここで「荷風と九鬼」を終わりたいが、もう少し〝哲学〟に付き合ってみる。岩波文庫『「いき」の構造』にも収録の『風流に関する一考察』。

 どう考察しているかの概略。~風流は「風の流れ」。風流の第一は離俗の心意気。それには積極性が必要。離俗して日常性を解消したら、何らかの新しい内容充実が営まれなければならず、それは主として美的生活。つまり風流の第二の契機は「耽美」ということになる。

 その上に第三の要素「自然」がある。世俗性を清算して自然美へ復帰する。風流が創造する芸術は自然に密接する。風流は自然美と芸術美とを包摂(ほうせつ、一定の範囲の中に包み込むこと)する唯美主義的生活を意図する趣が肝心。その意から庭道と花道は重要な地位を占めている。

 また風流は「高く心を悟りて俗に帰るべし」でもある。この俗はもう、風流が出発点にあるから、離俗前の単なる俗ではない。俗のなかにある風流である。色道と茶道とは人生美を追う風流の前衛の役目を務める。

 ここで「色道」「人生美」が出てきて、ちょっとわからなくなる。迷っていないで、先を続ける。自然美と人生美の間に技術美がある。ここで「砲身に射角あり寒江を遡る」「秋の浪艦艇長き艫を牽く」の例が挙げられてまた少しわからぬ。こう続く~。

 風流が一方に自然美を、他方に人生美を体験内容にすれば、旅と恋が風流人の生活に本質的意義をもってくる。「山川草木のすべて旅にあらざるものなし」そして「恋は僧あり俗あり年わかく老たるもあるべし」。こうまとめる。~風流は自然と人生と芸術とが実存の中核で混然と溶け合っている。また風流は享楽をも味わうものだが、その磁味を味わう心は白露の味と知る心である。

 以上が(一)の要約で、こんな調子で最後の〈五)まで続く。その最後の項で、風来山人こと平賀源内が登場してきて、ちょっと驚く。飯を食えば糞となって五穀の肥になる。水分は小便・汗になる、口から息を吐き、尻から屁を放つ。身体中に風が流れている、の山人の記述を引用。最後に仙人にならずとも現代では社会的勤労組織の中で自然的自在人を実現できると結んでいた。

 なお九鬼周造は、昭和15年(1940)、山科に自ら設計した数寄屋造りの屋敷で元芸妓・きくえさんと住み始めるが、翌16年5月に53歳で病没。冒頭の〝シンプルな墓〟で眠ることになる。

 同時期の荷風さんは63歳で、昭和15年12月に「日乗」で怒りまくっていた。~日本俳家協会なる組合が出来て、反社会的または退廃的傾向を有する発句を禁止する規約を作ったとかの噂を聞いたと前置きして「俳諧には特有なる隠遁の風致あり。隠遁といひ閑適(かんてき、心静かに愉しむこと))と称するものは、発句独特のさびし味なり、即さびなり。もしこれを除かば発句の妙味の大半は失われ終るべし。(略)現代の日本人ほど馬鹿々々しき人間は世界になし」。

 周造が亡くなった昭和16年5月には色がらみで怒っていた。~先夜新橋より乗った円タク運転手の弁として「ガソリンも米も煙草も酒も節約せよとの命令なれど、夜中の淫行は別に節制のお触れもなし。松の実かにんにくでも食って女房と乳くり合ふより外に楽しみなき世の中になりましたと語れり」。

 そして五月の発句。「五月雨と共になが引くやまひ哉」(荷風さん、風邪をひいたらしい)「苗売の見かへり行くや金魚売」(季重なりか)。九鬼周造は『情緒の系図』で俳句より短歌をあげているが、あたしは短歌は情緒が入り過ぎて〝野暮〟だと思っていて、俳句の方が好きだ。荷風さんも俳句中心です。

 まぁ、ここでの結論は「九鬼周造も荷風さんにはとても敵わねぇ」。九鬼死後の約40年後に『九鬼周造全集』が刊で、その第一と第五巻を読んでみようと思っていますが、まずはここで一区切りです。(荷風と九鬼5・完)


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