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島への玄関、竹芝の高層ビル群(2017‐1) [週末大島暮し]

bunkahousou_1.jpg 伊豆大島の1週間暮しから戻った2日後、19日の東京新聞にJR浜松町駅隣接「世界貿易センタービル」最上階展望台が紹介されていた。同ビルは昭和45年(1970)竣工。当時は霞が関ビルに次ぐ都心の超高層ビルだったが、東京オリンピック翌年に建て替えとか。

 小生昨今の大島経路は、大江戸線「大門」下車で竹芝桟橋まで徒歩。「大門」で地上へ出れば同ビル前。この辺りは平成12年(2000)から次々と高層ビルが建ち並び。今や近代高層ビル街に変貌した。

 同ビル前「浜松町スクエア」(写真上中央、下が賃貸オフィス、上が賃貸住宅)が平成16年(2004)竣工。右隣「文化放送ビル」が翌々年竣工、JRを渡った先の「〝芝〟離宮庭園」前の「汐留芝離宮ビルディング」(オフィスビル兼複合商業施設)も平成18年(2006)竣工で、デッキで繋がった隣の「汐留ビルディング」(2Fが25店の飲食街、4~24Fがオフィス)がその翌年竣工(下写真の右下の2棟)。その後ろの「〝浜〟離宮」際に建つのが「アクティ汐留」(下写真中央のビル。58階の賃貸住宅、平成16年・2004)、また最近では竹芝桟橋前に「浜離宮インターシティ」(平成23年・2011)が建った。

 その背後が〝虎の門・汐留地区〟だ。「東京汐留ビルディング」(ホテル・コンラッド東京、ソフトバンクが入る。平成17年・2005竣工)。その裏に「電通本社ビル」(平成14年・2002)、「ロイヤルパーク汐留タワー」(平成15年・2003)、「日本テレビタワー」(平成16年・2004)、「汐留メディアタワー」(共同通信社、平成15年・2003)等々が見える。

tenbou1_1.jpg そして今回は「芝離宮庭園」隣が巨大敷地になって工事中だった。東急不動産・鹿島建設2社共同「竹芝地区開発計画」。全体延べ面積20万㎡の国際ビジネス拠点を創出とか。業務棟は地上39階地下2階。竣工は2020年。ますます高層ビル街になる。

 かつて威容を誇った「世界貿易センタービル」に老舗感が漂うも、その最上階展望台からは360度の抜群の眺望が見える。眼下竹芝の近代高層ビル群も手に取るようにわかる。「竹芝地区開発計画」工事が進めば、竹芝桟橋は視界から消えよう。

 かく記すのも、小生「世界貿易センタービル」に多少の思い出あり。昭和52年(1977)頃か、30代半ばの頃に同ビル入居の音楽会社PCの仕事をし始め、同社は昭和53年秋に市ヶ谷・一口坂に移転。その頃が同社隆盛期で、同社は市ヶ谷から移転後に次第に凋落して行った。まぁ、そこでの仕事収入をもって平成3年(1991)に大島ロッジを建てた次第。つまり平成3年からの島通いの度に、竹芝周辺の変化を眼にしてきたことになる。

tenbou2_1.jpg PCはフジサンケイグループ。フジテレビは東新宿の自宅から徒歩圏内の河田町をあとに、お台場へ移ったのが平成9年(1997)。四谷の文化放送も前述通り浜松町へ移転、系列違いだが市ヶ谷の日本テレビも汐留自社ビルへ移転。

 かくして大島の玄関口ともいうべき浜松町~竹芝桟橋を歩くと、若き頃の仕事、我がフリーランス前半のあれこれが甦る。それにしても同地区の昼間人口は、かつての数倍増だろう。島通いの旅人らが大きな荷物を持ってゾロゾロと歩く程度だった道が、今はこれら高層ビル群の勤め人雑踏で、旅行荷物を持って歩くのが困難になってきた。

 浜松町、汐留地区が、かくも近代高層ビル街化して、そこが過疎化進む大島の玄関口とは何とも皮肉なり。いや、年々そのギャップが大きくなって、同地からジェットフォイル艇90分で〝東京のジオパーク・大島〟へが面白くなっている。このギャップ堪能で大島人気が復活すればいいのだが、と思ってしまう。

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