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荷風の絵の師・岡不崩とは [永井荷風関連]

kafusketch2_1.jpg 永井荷風の俳句が好きで、ブログ記事の題名を十七文字にしてみた。荷風「断腸亭日乗」をひも解くと、時に荷風スケッチが掲載。小生も絵が描けたらいいなぁ~で、ブログの写真を絵に替えてみた。

 先日、荷風の友・井上唖々調べの記事で、荷風も唖々も図画を岡不崩(ふほう)に習ったと記した。不崩の師は狩野友信、狩野芳崖。その名が出てくればフェノロサ、岡倉天心、九鬼隆一につながる。

 『「いき」の構造』九鬼周造シリーズで、彼の父・九鬼隆一と母・初子(波津)と岡倉天心の凄まじい三角関係を知った。今回は「荷風~岡不崩~狩野友信~狩野芳崖~フェノロサ」の流れをお勉強してみたい。

 井上唖々の項と重複するが、秋庭太郎著『考証永井荷風』より、岡不崩についての記述を長めに引用する。「岡不崩、名は吉壽、はじめは蒼石と号した。加州金沢の人である。狩野芳崖の高弟にして横山大観、下村観山等と倶に東京美術学校第一期の入学者であったが、不崩は業半に抜擢せられ高等師範学校講師兼附属中学校教師として教鞭を執った。附属中学に於て壯吉は同級生の親友井上精一(唖々)と倶に図画を蒼石に教へられた」

kafusketch1_1.jpg 唖々は先生が入ってくる前、黒板に岡蒼石の墓に柳と幽霊を描き、蒼石先生を憤激、顔色〝蒼石〟にさせる悪戯をしたそうだが、荷風は唖々と違って絵事を好み、不崩の寓居に至って学び、不崩に連れられて上野東照宮拝殿の探幽の絵を模写しに通ったそうな。

 秋庭太郎の文はこう続く。「不崩は花鳥山水画に長じたが、後年は本草学者として知られ、特に牽牛花(けんぎゅうか=うしひくばな=あさがお)の研究栽培の権威であった。荷風は不崩先生の晩年まで交際があり、荷風が後年日本画を能くしたのは、兎にも角にも師に就いて学んだからである」。そして師の朝顔関連著作八作を紹介。

 これらの幾冊かは古書ネット販売で数千円でアップされていた。そして不崩著の狩野芳崖先生逸話集『しのぶ草』は、国会図書館デジタルコレクションで読むことができた。

 挿絵(上)は「断腸亭日乗」昭和七年一月の砂町八幡宮の荷風スケッチ。挿絵(下)は同年一月十八日の、堀切端から四木橋を望むスケッチ。(荷風の絵心1)

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