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「アンコさん」とジオパーク [週末大島暮し]

anko1_1.jpg 前回記した坂口安吾『消え失せた沙漠』を読むと、門外漢ながら観光施策を考えてしまう。同随筆は三原山噴火の書き出しだが、島の魅力考察でもあった。

「東京から七時間、伊東から二時間の大島だが、風俗習慣がガラリと変わっている珍しさがある。内地を一昼夜特急で走っても、これほど習慣の差のあるところはない」(原文を圧縮引用)

 つまり「三原山(ジオパーク的関心)+アンコはじめの異風習=大島人気」と分析・指摘していた。アンコ風俗、祭神、遺跡出土品、祖先(ネイティブ)、島言葉、古民家、タメトモさん、水事情、酪農などをそれぞれ考察して結論へ。

 「〝旅〟です。大島にはそれがある。それが味わえる。村のアンコたちと噴煙を見ているだけで、旅行者は〝旅愁〟を味わえる。日本にもそんな島があるということ」

ankoyuhi1_1.jpg その指摘通り、大島観光客は急上昇で昭和48年に83.9万人のピーク。同年オイルショックもあってか急降下を開始。それは昭和61年の三原山噴火まで続いて約40万人。離島ブームで少し上昇した平成3年にミニピーク(約46万人。小生ロッジ建造年)。

 後は現在までダラダラ下降線で今は18万人ほど。推移グラフを見ると内輪山から外輪山、そして海まで下る等高線のようであります。(参考:「伊豆諸島・小笠原諸島観光客入込実態調査報告書」「大島町統計資料」)

 現観光施策を部外者の眼でみれば「補助金頼りの格安展開+ジオパーク展開」は〝下降現状の持続可能展開〟のように見える。ジェットフォイル艇90分も旅を日常化した。では〝消え失せた異風習〟に代わるものは何か。答えがないのかも知れない。超アイデアが出るか、はたまた自然変化が起こるか。それまでは観光客減+人口減を併せて、下降線が〝海岸線〟へ迫って行くような気がしないでもない。

 小生は島では外食もせず会食もせず、ただ静かにのんびりと過ごすのが何より。なのに実際はボロロッジのメンテナンス、雑草刈りで疲労困憊になる。ゆえに疲れを癒す夕陽見つつの「浜の湯」がいい。ボロでもマンションにはない木の家の心地よさがいい。静かな夜に見つめる薪ストーブの火がいい。そうか、「昔の絵葉書セット」にはない〝島の三至福〟だなと気付いた。

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