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汐留でカンディンスキーと逢う(1) [スケッチ・美術系]

kandinskytirasi1_1.jpg 「今日は何をしようかしら」。隠居ってぇのは、そんな日々です。「そうだ、パナソニック汐留ミュージアム『カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち』を観に行こう」。

 二十歳の頃に、某大・応用化学科の実験白衣を脱ぎ捨て、美術塾へ通った時期がある。そこはイラストなど描けば罵倒される雰囲気で、教科書代わりが59年刊カンディンスキー『点・線・面~抽象芸術の基礎』(下写真の左)、58年刊『抽象芸術論』(下写真の右)だった。

 難解なり。当時は「バウハウス」と「イラスト」両派があって、師は「バウハウス派」だったか。かくしてイラストを一度も描かずに、グラフィックデザイナーとして社会人になった。

 久し振りに眼にした「カンディンスキー」の名に、懐かしさを覚えて同展へ。ポスターもチラシ(写真)も『商人たちの到着』。カンディンスキーが具象画を描いていたとは知らなかった。胸踊らせて会場に入ったが108点中、カンディンスキー作は僅か18点だった。

 ゆえに図版は買わず、ショップで「カンディンスキーのガイド本」を買った。二十歳の時に読んだのは、函入りハードカバーで活字中心。このミニ画集が、当時のカンディンスキー概念を変えてくれそうな気がした。

 同書を数頁めくると、昨年に小生が新宿御苑でスケッチした絵と、まったく同じ構図の絵『サン=クルー公園~陰暗い並木道』があって愉快なり。お閑な方は同題画像探索と、弊ブログの新宿御苑スケッチ「プラタナス並木を描く」を見比べて下さい。

kandinsky2mai.jpg さて「汐留」は電通、日テレ、汐留シティセンターなど街は様変わり。だが「新橋駅」よりはサラリーマンの街。定食屋で「サンマ定食」を食いつつ、電通のガラス高層ビルを眺めながら「過労死するほど働いている青年はいないだろうな」と心配した。

 小生、カンディンスキー没年の生れ。大学の実験白衣を脱ぎ、彼の著作を読んだ。カンディンスキーはモスクワ大卒で同大法学部助手になるも、モネ『積みわら』を観て画家を志した。30歳だった。

 生きる道は幾つもある。「決して死ぬほどの無理をしてはいけません」。小生、好き嫌い激しく生きて来た結果が貧乏隠居だが、昔も今もそれなりに愉しく暮らしている。

 若い時分を思い出したので、いい機会ゆえ、二十歳の頃に読んだカンディンスキーを、少しだけ再勉強してみようと思った。(続く)

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