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カンディンスキー:コンポジション(5) [スケッチ・美術系]

composition2_1.jpg その3:コンポジション(composition)について。カンディンスキーは「インプロヴィゼーションと同じだが、今度は時間をかけ練り上げての表現。私はこの種の絵を〝コンポジション(作曲)〟と呼んでいる」とか。

 作例に1911年の「コンポジションⅣ」をあげる。画面中央に城砦を頂く青い山。中央の人物が持つ黑い長槍が画面を左右にわける。左側が戦闘場面で、右側が平和場面で右下に男女が横たわる。

 この作品には、抽象過程をうかがわせる「コンポジションⅡ」がある。同作より「Ⅳ」へ至る過程例として「Ⅱ」の部分模写を添えてみた。肩肘で寛ぎ横たわる男女、馬を駆る二人の騎士、荒波に呑まれる人々が描かれ、それが「Ⅳ」の表現に至っている。(あぁ、小中学だったか、具象をこんな風に崩して抽象画に仕上げる図画の授業があったと思い出した)

 カンディンスキーは、夜明けの薄明りのアトリエで目にした絵が余りに美しいのに涙し、後でそれが自分の描いたこの絵だと気付く。この時期の彼は恋人ミュンターと妻アーニャとの三角関係の窮地にあって、相当に深刻だったらしい。極めて鋭敏・繊細な精神状態だったのではと推測するが、いかがだろうか。

 ちなみに二人は1916年頃に別離。こじれにこじれた。1921年に弁護士が彼女へ連絡をとって彼の持ち物や絵を返却するよう要求するも、大半は「精神的ダメージへの補償」として拒否。(ミュンターその後は後述)。

 異性との激しく諍いの後は、可愛い女性がいい。同年51歳のカンディンスキーはモスクワへ戻ると、なんと10代のニーナと結婚。彼はとんでもない〝ロリコン親父〟になった。彼女は奔放で妖艶で軽薄(『僕はカンディンスキー』著者記述)だが、彼女は27年後の彼の死まで添い遂げたそうな。

 理論家、哲学者、偏屈、完全主義者、厳格教育者のカンディンスキーに秘められた裏の顔がチラッと伺えるも、私生活を秘すも彼の流儀。※参考資料は最後に記す。


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