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カンディンスキー(7 )バウハウス [スケッチ・美術系]

tensenmen2_1.jpg カンディンスキーの時代を俯瞰後は、再び彼の「バウハウス」招聘前後に焦点を当て直す。

 1917~1922年はロシア内戦の荒廃・破壊・残虐・干ばつ・大飢饉。1919年に3歳の長男が胃腸炎(栄養失調)で死去。社会主義革命に奉仕の芸術中心になって、1921年に夫妻は12枚の絵と僅かな身の回り品だけを持ってドイツへ逃亡。

 極貧生活を救ったのがパウル・クレー。彼の尽力で「バウハウス」(すべての造形活動の究極の目的は構成である)校長から招聘される。

 かくして「バウハウス」カンディンスキー先生が誕生。教えることは、自らも色彩・フォルム(点・線・面)の分析考察の日々。教室講義から『点・線から面~抽象芸術の基礎~』を1926年に刊。

 同書が小生二十歳の時の画塾の教科書だった。教科書ゆえ作者への関心なし。今思えば大変な時代を背に構築された諸理論に、もっと有難く拝読すべきと反省する。だが小難しい記述で再読する気にならず、よって関連書の〝孫引き〟です。

 <線>幾何学上、線は眼にみえぬ存在である。線は動く点の軌跡、したがって点の所産である。線は運動から生まれる。~しかも、点そのものが内蔵している完全な静止を破壊することによって、そこには、静的なものから動的なものへの飛躍がある。だから線は、絵画における最初の要素~点~に対しては、最大の対立関係にある。ごく厳密に考えれば、線は二次的要素と名づけられるべきものである。

 あぁ、若き日の記憶が僅かに甦ってくる。カンディンスキーは「バウハウス」がデッサウ市に移転前後に、今度は「円」に熱中する。<円>もっとも控えめな形態だが、容赦なく自己主張をし、簡潔ではあるが、無尽蔵に変化が可能。安定していると同時に不安定。無数の緊張を秘めている。

 かくしてカンディンスキーの抽象画は、次第に筆致が消えて幾何学的になって行く。挿絵は同時期に描かれた「尖りに拠って」。線画模写し、透明水彩+ガッシュで簡単彩色模写。逆三角形がそれぞれの重量と動きを与えられ揺れ揺られるドラマを演じている。

 この歳でコンパスを使うとは思ってもいなかった。机をひっくり返して見つけた小さなコンパスの鉛筆アタッチメントを外し、「PILOT HI-TECボールペン」をセロテープで仮固定して円を描いた。

 二十歳の頃に通っていた画塾は「カンディンスキーの2冊を読め」と「石膏デッサン」の外は大したカリキュラムもなかった。週一か、月一に師のアトリエに入り、師が前夜酔っぱらって茶碗を叩きつつ呟くテープを聞かされるだけだった。某広告代理店デザイナー募集で「カンディンスキーを読んでいました」が採用の決め手だったらしい。

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