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司馬江漢19:晩年の老荘著作群 [北斎・広重・江漢他]

 江漢の晩年著作を年代順に記す。文化7年(1810)に身辺雑記・人生訓の随筆集『独笑独言』、8年に随筆集『春波楼筆記』、9年に『吉野紀行』、10年に死亡通知書『辞世語』、11年に『無言道人筆記』、12年に『西遊日記』。その2年後の文政元年(1818)10月22日、72歳で没。

 まず文化6年に哲学的な絵『桃栗に地球儀』を描き、文は「桃に生る虫を桃むしと云、栗に生る虫を栗虫といふ。地球に生るを人間といふ。つるんでハ喰てひりぬく世界むし、上貴人より下乞食まで」。天から見れば人に貴賤なし。そんな事が老年になっても不知の者が多いと歎く。さらに顕微鏡で覗き、それら虫の寄生虫も示す。

 「須弥山論説」では、世界の中心に聳える聖なる山・須弥山をもって世界観を解く古代インドだが、地球や天体を知れば絶笑・妄説。無智の凡僧なんぞや天地広大なる事をしらんや。こうした視点から体制側を切りまくる。江漢の顔が、老荘思想の哲学者になっている。

 『春波楼筆記』冒頭。~狐や狸が人に罠をかける。酒肴の罠にすれば食い倒れ。小判を罠にすれば欲が膨れて大損し盗みにも至る。女を罠にすれば誰もがひっかかる。そうならぬように狐の稲荷に手を合せて拝むがいい。無欲がいい、度量を過ぎず、中庸が宜しい。

 自身の反省も忘れない。「後悔記」はすでに引用の画歴だが、その最後に「我名利と云ふ大欲に奔走し、名を需め利を求め、此二つのものに迷ふこと数十年。今考えるに、名のある者は躬に少しの謬(あやま)ちある時は、其あやまちを世人忽に知る者多し。名のなき者誤ると雖も知る者なし。是名を得たるの後悔。今にして初めて知れり。愚なる事にあらずや」と記す。

 明治27年に同著を読んだ日本哲学の父・大西祝はショウペンハウエルと一致する。江漢は我国の思想界に於ける稀有の産物といふべきと記した。

 成瀬不二雄は「彼の思想を一言でいうと、西洋天文学と老荘思想とを合せた虚無思想。宇宙は水と火で成り立ち、死は水と火が分離して宇宙の大気に還る。そんな虚無のなかで、人間は欲望に翻弄され苦しむ存在。そこから厭世主義にならず現世的な自然主義と中庸主義に落ち着く」と説明。

 小生、これら著作を読むと、下級武士(徒歩組)の大田南畝(蜀山人)が、司馬江漢(庶民絵師・庶民学者)が長崎に旅立った頃に出版した『鶉衣』の著者、上級武士ながら隠居後の横井也有翁の三者を較べ考えざるを得ない。大田南畝も也有翁はもっと洒脱な虚無観だったような気がするのだが~。次は江漢自らの「死亡通知書」。

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