方丈記4:京都大火 [鶉衣・方丈記他]
「保元の乱」から「平治の乱」の京都内乱の後に、鴨長明の運命は激変するが、それは後述で、京都大火の記述に入る。仁安元年(1166)14歳の12月1日に京都大火。その後も京都の火災は頻発。特に安元3年(治承元年・1177)25歳の時に京都大火、通称「太郎焼失」は大きかった。長明はこう記している。
凡(およそ)物の心をしれりしより、四十あまりの春秋を送る間に、世の不思議をみること、やゝたびたびになりぬ。去(いんし=去る)安元三年四月廿八日かとよ。風はげしく吹て、しづかならざりし夜、戌のときばかり(夜8時頃)、都のたつみ(東南)より火出来りて、いぬゐ(北西)にいたしる。はてには朱雀門、大極殿、大学寮、民部省までうつりて、一夜が程に灰となりにき。火本(元)は樋口富小路とかや。病人をやどせるかりや(仮屋)より出来けるとなん。吹まよふ風に、とかくうつり行程に、あふぎ(扇)をひろげたるがごとくすゑひろに成ぬ。とをき家は煙にむせび、ちかきあたりは一面ほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹立てたれば、火の光に映じてあまねく紅なる中に、風に堪ず吹ききられたる炎、とぶがごとくにして。
ここで区切る。「廿八日かとよ」の●とよ=とおもう。~だったか。●とかや=~とかいうことである。●「病人をやどせる」は岩波文庫では「「舞人をやどせる」。●とかく=あっちこっちへ。●~となん(む)=強く推量。文を続ける。
一二町を越えつゝ移行。其中の人、うつし心ならんや。あるひは煙にむせびてたふれふし(倒れ伏し)、或は炎にまぐれてたちまちに死ぬ。或は又わづかに身一からうじてのがれたれ共、資財をとり出るに及ばず。七珍万宝さながら灰燼となりにき。そのついへ(費へ)、いくそばくぞ。此たび、公卿の家十六焼たり。まして、其外はかずしらず。すべて都のうち三分の一に及べりとぞ。男女死ぬるもの数千人、馬牛の類ひ辺際をしらづ。人のいとなみ、みな愚かなる中に、さしもあやうき京中の家を作るとて、宝を費し、心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき(この上なく無益なことだ)。
●うつし心=現し心=正気、理性ある心。●うつし心あらんや=正気でいられようか。●まぐれて=眩れて=目がくらんで。●七珍万宝=あらゆる宝物。●いくそばく=幾十許=どれほど多く、数多く。●さしも=されほど、あれほど、あんなに。●あぢきなく=味気なく、無益だ、わびしくつまらない、にがにがしい。
2018-02-14 07:46
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